「自責」の根っこを吐き出したら、心が軽くなった話

おはようございます、satoです。
本日はタイトルの通りなのですが、自分の問題点の一つだった「自責」の根っこのお話をしたいと思います。

私はかなり強い自責の念に駆られることが多く、特に何か人に迷惑をかけた、あるいはルールを守れなかった時にかなり強くなります。
その強さはかなりのもので、ひどいと死にたい…とか死んだ方がいいのでは…と「口にする」レベルです。

その中で最大のものは2018〜19年ごろの「信仰が自分の中でどん底だった時」でした。
この時の私は信仰面で色々なことができなかったり、「してはいけない」と言われていたことをしていた時期で、かなり強い自責の念に囚われており、「死にたい」と「教会に居られない」という気持ちを”ずっと”抱え込んでいました。
そのためか、この頃は教会のイベントも礼拝以外「体調不良で」参加できていませんでした。この「体調不良」自体は本当にあって「熱っぽい」「頭が痛い」「眠気がひどい」「けれど夜寝られない」という状態でした。
また、この後コロナ禍によって教会での礼拝も捧げられませんでしたが、共同生活をしているので一緒に礼拝を捧げることはしていました。まぁ「死に体」でした…。よくこの状態で仕事してたなぁ…。

幸い時間経過とある程度自分に対する寛容度が広がったためか、その後はこのような感情がずっと出ることがなくなってはいましたが、それでもこの頃の「強烈な自責の念」自体は消えておらず、時たま調子を崩したり、自分が「してはならない」ラインに近づくと一気にこの感情がフラッシュバックすることがありました。

さてさて、先週色々な人と対話したり本を読んだりする中で「自分の過去のことについて、原因は幼少期の経験にある」ということと、自分の体調不良の一因が心因的なものではないか、ということを考えるようになりました。
で、後者の話を聞いた瞬間に「暗黒期の自責の念」がフラッシュバックしてかなり調子を崩していました。
頭も痛くなるし、体もちょっとだるい…となりました。
私自身はその原因を「その時にしていたこと」だと思っていたのですが、それは今はしていません。かなり気をつけて避けています。それなら許せそうなものですが、実際のところずっと続いていました。

それでこの感情と向き合っている途中に思い出したこと、その幼少期のトラウマを口にしました。
それが

「間違ったことをしたときに、自分の話を一切聞いてくれず、どうすればいいのか教えてくれず、ただ大声で怒鳴られる」

ことでした。特に親や学校の先生からこのようにされたことが私のトラウマでした。

子供の頃弟と色々暴れたりして泣かせたりすると親に怒られたのですが、その際明らかに私が原因でない(弟に「怪我しかねないもので頭を」叩かれたとか)ことだったとしてもそういう事情を一切聞かずにただ大声で捲し立てられたので、すごく嫌だったわけです。
あと、今思い出すと、私が親の言うことに対して「それってこうなんじゃない?」って言ったところ「屁理屈言うな」って返されることが多かったです。

そして、学校でもこう言うことがよくありました。
小学一年生の時に上靴の靴紐が解けているのを見た教師から大声で怒鳴られながら指摘されました。この時も「どのように靴紐を縛ればいいのか」一切わからなかった(親から教えてもらっていなかった)のに、ただ「靴紐を縛れ!」としか言われず、ただ怖かっただけでした。
この出来事は相当にトラウマで、小学校の時はずっとマジックテープの靴しか使っていませんでした。靴紐があるとまた怒られると思ったからでしょう。
これだけでなく、小学校の時には忘れ物とか服装とか、時には色の塗り方とか、正直私がよくわからない状態のことに対してできていないことを大声で怒鳴りつつ指摘され、どうすればいいのかとか何が悪いのかを教えてもらうことはあまりありませんでした(教えてる時もやたら怒りながらだった気がする)

これに関しては、正直時代性もあると思います。
と言うのも、この頃は「発達傾向」が偏っている子供がいると言うことが一般に知られているわけではない上、学校の教育も大人の言うことを聞くようにさせるものが多かったと、私が読んだ本の中にありました。

とはいえ、私にとってはただ「怒っている人が私に怖いことをしてくる」くらいの認識でなく、それをどうやったら回避できるか分かりませんでした。私にとって「間違ったことをする」ことは「対処できない怒りと恐怖が襲うこと」とほぼ同じ意味でした。
だから、泣きました。そして自分が悪いと考え、事前に自分を責めて傷つけることで相手の怒りを緩和させることをするようになりました。
かなり強い自責の念の正体は「対処できない怒りと恐怖から逃げるための回避行動、あるいは事前に受け止めるための準備」だったのです。

この癖が今も続いていたのです。
親や学校の先生、という「目上の人」がそう言うことを多くしていたので、自分はかなり強い恐怖を持っていました。
だから、今でも「自分より年上の人(特に男性)や立場が上の人」を中心に「自分に指摘をする可能性がある人」は避けがちでした。
そして、何か失敗をした時には強い自責の念を持つことで自分を傷つけ、「どうしようもない恐怖」を避ける準備をしていたのです。

それで、このトラウマが極限まで強くなった瞬間に神様に祈りました。
「私は小学校の頃からずっと大人から感情的に怒鳴られて怖かった、だからずっと自分を責めて怒られないようにしていた、自分の話を聞いてもらえず、どうすればいいのか教えられることもなく、本当に怖かっただけだった、そのことに不満を持っていました。そのことは悔い改めます。だから、この感情を聖霊に委ね、癒してください」
と。その直後から、少しずつ心の安定度が上がっているように感じました。

そして、主日の御言葉「よい御言葉は一言では話せない。時間がかかる」を聞きながら、

今私がやっている「心の回復、心の土台を作ること」も一瞬ではできない。確実に時間がかかる。
でも、それは確実に神様の御心の中にあることだから、神様の御心の中で行おう。私も聖霊も共にするから。
安心して、私に委ねなさい。

という神様からのメッセージを受け取りました。これ(とその後の「どさこいラジオトークショー&公開録音」イベント)によって心が大きく回復して、今日は割と心の調子が良い感じです。

まだまだ私の心の土台作りは続きますし、今日生活する中でも「私の直すべき考え方」「私の持つ不安」を見つけたのですが、それでも一つ進めることができたことが感謝です。

改めて、自分の幼少期の経験は「自分の発達の偏り」と「それに対する周りの認識のずれ」から来ている事が多そうだなと思います。

私も「学校の勉強」はかなりできる(これは高校までそうだった、特に数学は小学生の段階で高校の数学を勉強していた)子供でしたが、その反面「実技や生活態度はかなり未発達」という状態だったので、今思えば学校の先生からは「本当はできる・分かっているのに手を抜いている」と思われていたのかもしれません。そうなると「やたら怒っていた」のもある程度納得できる気がします。
実際には教えてもらっていないからできない、または聞いてなかったか聞いてても情報を処理できずに頭に残っていなかった、情報があっても実際に行うときにギャップがあってできなかった、などの原因がありそうです。

一つ思い出した話があるのですが、小学校の時に学芸会で劇をやっていたのですが、本番1週間になってもセリフを覚えておらず、先生に怒鳴られたことがありました。その後短時間でセリフを繰り返し読むことで全部覚えたのですが、この「覚えようとしなかった」理由も「どうして・いつ覚えたらいいのか、自分の中で確立されていなかった」ということがある気がします。こういうことが特に小学生の私はよくあった気がします。

この点を理解して、今後も続けて心のトラウマを取り出したいと思います。まさに大手術。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。