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「いつも頭が動いてしまう」という私の特性。

こんばんは、satoです。

以前「御言葉を書くことより、聞くことに集中しなさい」と説教の中で話があって、それに対して「耳からの聞き取りが苦手」という私のもがきを書きました。
今日、たまたまこの話をしていたのですが、ちょうど私と共に住んでいる教会の人が次のようなことを話していました。

「何か考えていると、耳からの情報って入らないですよね」

その人は、ちょうど英語のリスニングの試験でそれを体験したそうな。
この話を聞いて、確かに!と納得しました。今まで感じていた違和感というのがちゃんと言葉になった感じで、とてもスッキリしました。原因がはっきりした、ともいいます。

私は脳の特性故か常に何かしらの考えが頭で動いているのです。…いや、これは普通のことなのかもしれませんが…。
私の場合は、常に頭が24時間動いている感じといいますか、むしろなにか「考え」ていないと違和感を感じるという印象があります。たまに、考えすぎて現実から乖離することもあります。
だから、何かいいことがあって心を開いていても、しばらくしたら考え」が作動してそれを感じられなくなる、といいますか、ずっと心をオープンにできていない感じがします。
むしろ、この「考え」で「認識」していないと、自分がやったとしてもやっていない感じがして気持ち悪い…という感じもします。さっきから「感じ」ばかりで申し訳ありません…。

そういうわけで、「心を空ける」にはリラックスするのが良さそうな気がします。リラックスをすると、「考え」が幾分か作動しないので…。

しかし、こうやって「考え」続けることにもメリットが一つありまして。
それは御言葉を悟るとか、数学を理解する時にはとても有利に働くということです。実際、数学にしても、御言葉にしても一度疑問に思ったことについては延々と考え、くり返し思い出すから最終的にはちゃんとした「悟り」に行き着くわけです。
最近の御言葉でも

繰り返し考え、深く考え、大きく考え
最後まで考えて、悟りの段階に上っていかなければならない。
-摂理の御言葉『「考え」の最高の次元は「悟り」 「心」の最高の次元は「真心」 「精神」の最高の次元は「心情」だ。「頭」には「悟り」が絶えず、「胸」には「真心」が満ちあふれ、「行い」には「心情」がこもった真理の新婦になりなさい。』より

というように、考えを繰り返しすることで悟りに至りなさい、と話されています。

というわけで。
私の特性は一長一短あるので、長所はうまく使いつつ、短所をカバーできるように工夫していきたいです(・∀・)

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代まであと一歩。数学者を志す大学院生で、教育系の仕事もしています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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