「時間感覚」と「自分のイメージ」が曖昧な私の世界

おはようございます、satoです。

久々に数学以外の話題を話します(笑)
今日は発達障害の傾向にある人が持つ「時間感覚」や「自己イメージ」の曖昧さというものについて考察をしたいと思います。

自己イメージ

私自身も自分に対するイメージが外の人と結構かけ離れているところがあります。
私の自分に対するイメージは「感受性豊かで色々なことに敏感な反面、多少アバウトに物事を進める」というもので、特にアバウトに進めるところで結構なミスが出てしまい、結果として「自分は失敗が多い、頼りない存在」と捉えています。
また、「自分が大人である」という認識が未だに持てず、(実際に学生ではあるのですが)「中高大学生」の感覚でいます。

ところが、周りからの評価はかなり違っていて、「人の気持ちを推し量れる優しい人」だったり「頼りになる存在」とされています。これは摂理の教会でもそうですし、他のところでもそうみたいです。最近バイトでなんと昇給したのですが(こんなの初めてです!?)、その評価を見ると確かにそのように捉えられていました。
確かに年齢的には30歳間近なので、普通に考えたら「頼りにされる」ということはあってもおかしくないのですが、自分自身がそのような存在になっているとは思っていませんでした。

…正直言いますと、仕事、特にバイトでしていることは全て私が神様から受けてきたものをそのまましていることです。
自分が苦悩していた時期に、神様から受けた愛、寛容さによって慰めを受け成長した、その姿で子供たちにも接しています。
だから、もしそこが評価されたとしたらそれは神様のお陰である、と言わざるを得ません。実際その通りですから。

…ちょっと脱線しましたが、このように自分の持っている自己認識(失敗が多い、足手まとい)と周りの印象(面白い、頼りになる)はかなり異なっています。
そうなると自分自身にとっては結構プレッシャーになり、(特に塾では勉強の成績を上げることが主目的になりますが、そのようなことはあまり意識していなかったので結構苦手…)怖くなってしまいます。あと、やはり自己肯定感が低いのと「一番認められたかった」中学生時代に認められなかったことで人に認められる経験が少ないことが相まって不安に苛まれます。

これについて神様にお祈りしたところ「あなたはもう少し自分を認めなさい。大丈夫。もっと喜び感謝しなさい」と感動がありましたので、もっと「よっっしゃー!神様感謝しまーす!」とテンションを上げて喜びます(笑)

課題が時間

ところで、このバイトの評価で課題とされているのが「時間の使い方」でした。
具体的には「授業の時間にどこまで出来るのかを意識すること」とありました。確かに、私は授業中も授業後も相当に時間が掛かります。
丁寧にしようとして、一つ一つ抜けがないのかチェックしながらやるから時間が掛かるのですが…^^;
でも、それだけでなく自分の時間感覚がとても曖昧であるところも原因のようなのです。
具体的には、10分と分かっても、他のことをしている間に10分経ったことに気づかなかったり、作業時間の見誤りが多かったりということです。
子供たちにやらせると思ったよりできた/できないはありますが、それだけでなく、私自身の時間感覚が本当に曖昧なんですよね^^;

他にも、長期的な時間情報はしばし忘れがちで、「何日にどこに行く」という情報は記憶できても、「今が何週間前か」というところはよく忘れるし、感覚がないんですよね。現に、来週ちょっと遠出するのですが、一週間前だということにさっき気づきました^^;

2つに共通することは「直接見えない」ということ

これらに共通して言えるのは自分も時間も「直接見ることができない」ものなのです。

私は人と感覚が異なります。それが発達障害と呼ばれるものの本質なのですが、特に私は「視覚情報」による刺激がとても強く感じられます。
同じことを口で言われるより、目で見るほうが「刺さる」のです。特に褒め言葉、指摘は(笑)
また、人に対しても直接見ることで微細な変化を感じ取ることができます。人の顔を見て話せませんが^^;

反面、「見えないもの」は理解し難いです。その最たるものが「対話、一方的な口頭での伝達」で、集中力が効きにくいです。
だから、昔摂理で御言葉を勉強していた時全然話が入らなかったのですが^^;今も結構もがきますこれ^^;

おそらくですが、私は「繰り返し見る」ことで情報を蓄積して感覚を得ていく、という風に物事を習得しているのだと思います。これは「注意散漫、多動性」なところを逆手に取って「いつもあちこち見て」、「常同性」を逆手に取って「繰り返し気になることを見る」ことで素早く習得していくというプロセスです。

だから、自分のイメージもとても曖昧です。自分は自分を直接見ることができないから。自分の姿形も曖昧です。
(一般的なボディスキーム、身体感覚はちゃんとあるみたいです。)
また時間も同じように曖昧です。自分が「時間と切り離されている」ようにすら感じます。

ここまででオチはありませんが…^^;
ひとまず「時間感覚」と「自己イメージ」が曖昧な原因は「直接見れない」ことなのかな、と私は思いました。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。