「私の元の土地」とはなんだろうか?

おはようございます、satoです。
今週の御言葉は「神様が許諾した祝福も行なってはじめて受ける」というものだったのですが、その御言葉の中で次の聖句が説明されていました。

そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕させられた。

口語訳聖書 創世記3章23節

こちらはアダムとエバが神様の前に罪を犯して堕落してしまった後、エデンの園から追い出された時の聖句ですが、最後は韓国語ですと「元の土地を耕された」と訳されるそうなのです。
このように、神様の下を離れると「以前自分がしたがっていたこと、やっていたこと」をやるようになるという内容が出ていました。しかし、そこは荒野のような世界なのですぐに苦しくなるのです。

あなたは彼らに言いなさい、『主は言われる、「わたしは生きている。あなたがたが、わたしの耳に語ったように、わたしはあなたがたにするであろう。あなたがたは死体となって、この荒野に倒れるであろう。あなたがたのうち、わたしにむかってつぶやいた者、すなわち、すべて数えられた二十歳以上の者はみな倒れるであろう。

口語訳聖書 民数記14章28−29節

水や食べ物が少ない荒野でずっと生きることはできません。
このように神様の懐から離れた世界では元々やっていたことをやるしかないので苦しくなって生きることができないわけです。

ところで、神様から離れると「自分が過去していたことややろうと思っていたことをしたがる」というのはよく起こります。これは人は肉体を持っていて、肉というのは自分が過去していたことを繰り返す傾向があるからです。
これは言い換えると「自分の捨てられないもの」と言ってもいいわけです。こういうものが神様から遠ざける要因になりうるわけです。
そこで、私の「捨てられないもの」とは何かをもっと分析しようと思ったわけです。

最初に思ったのは「アニメや漫画」とか言ったものなのですが、実はこの辺はそこまででないなぁ…と思ったのです。それは「過去見なくてもそこまで影響なかった」し、「見ないことができる」からです。ゲームも同様。
じゃあ、異性?…この辺も神様を信じるより重きをおいているとは思えないし…何よりこれらのものは「気をつけている」のです。おそらく手に入れるとハマると分かっているから、遠ざけています。

数学研究…は摂理に来てからむしろよくできています。なんだったら来る前の方ができていない笑
これは「元の土地」とは言えないなぁ…。

私は正直「摂理を出てまでやりたいこと」がありません。摂理の中でできることが多いですし、そもそも「摂理に来る前からやりたかったこと」がほとんどないからです。

それでは私の「元の土地」とはなんだろう…?

と思った時、一つ思い浮かんだことがありました。それは何か…を明日書きたいと思います。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。