やっぱり私は「研究者」

おはようございます、satoです。

私が今の仕事をしていて一番面白いのは数学の本質を知ることです。
そして、それは数学が得意な人と話をするだけではなく、苦手な人に教える時にも起こりえます。
たとえば、私は現在数学が苦手な子に数学を教える仕事をしています。
その時、私は中高時代そこまで数学に躓かなかったので「どこで難しさを感じるのだろう?」と考えます。
それを深く突き詰め、さらに大学以降で学ぶ「現代数学」を考え結びつけると、段々と「本質」が見えてきます。
この本質に触れる瞬間がとても面白いのです。今まで見えなかった数式の奥深くに潜む「真理」の一端を覗くことが出来たからです。

また、子供たちのアイデアが新たな発見を生むこともあります。
例えば、ある時教えていた子が、私が思いつかなかった解答を書いていました。
それを聞いて確かに答えは正しいのだけど、本当に正しい解法なのだろうか?と疑問に思いしばらく考えていました。
その結果、もっと新たな発見をするようになりました。

人に教える喜びの中で最も大きいのが「深く知る、悟る」ことだなんて、やはり私は「研究者」なのだな、と思います。

それでも、「共に真理を探求する」私だから、子供たちの話も聞けるし、色々深く教えられる、と考えると私が今この仕事をしている意味も感じます。

これは信仰生活でも同じで、私が信仰生活をする中で一番甲斐を感じるのは自分の中にある分からないものが解かれる瞬間だったりします。これのために他の全てがある、というくらいです。
祈りも、大半が「自分のことを理解する」「神様のことを理解する」「御言葉を理解する」ためにお祈りをしているように感じます。

このことによって他の人の助けになることもあります。
例えば、ある人がイベントの準備に忙殺されている時、純粋に状況を知りたくてどのくらい進行しているのかを質問しました。そうすると、初めは「あまりに準備ができていない…間に合わないのでは…」と言っていたのが「意外と準備できているのでは?」と元気になりました。実際、思った以上に準備は進んでいて、足りないところがちゃんと分かったので、もやもやが解けたようです。

こう考えると、私が一番多くしていることはモヤモヤしているもの、理解が曖昧な状態のものを整理してはっきり分かる状態にするということかもしれません。ある意味で、それは研究者として鍛えられたものであるとも思います。

私が生きる仕事が出来ることに感謝します(^o^)

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。