『夢』を形にする、ということ。数学の場合

おはようございます、satoです。
前回とタイトルが似ていますが、内容は全く変わります。今回は数学の話です。

前にNikolai Durovの「New Approach to Arakelov Geometry」を読んでいる、という話をしましたが、現在もちょくちょく読んでいます。
私は論文を読む際、ひとまずパラパラ眺めてなんとなく感覚を掴んで、それから興味のある単語を読んでいき、そこで疑問に思ったことを考えながら色々読む…という読み方をしています。これは論文に限らず小説以外の本でもそうです。
前から順々に読む、という方法だとあまり頭に入らず…そもそも脳内に入れられる情報量が少ないためか、ぼーっとただ目で追うだけになってしまうのです。
結局自分が分かって楽しんで読めるのがこの方法だった、ということです。これはずっと研究していて得た私なりの方法です。

ところで、このように読むと「内容のイメージ」が少しずつ形になっていきます。
たとえば、(以下専門用語を交えた話になります)

現在読んでいる論文の中心となる研究対象は「代数的モナド」と呼ばれるものです。
これは集合に対して「代数構造」を入れる「関手」です。
この代数的モナドのうち「演算」が「可換」なのが、Generalized ringと呼ばれるもので、これを現在の代数学に出てくる「環」の一般化として扱い、代数幾何学の理論を展開しようというのがこの論文の流れです。

これを行う主なモチベーションは、タイトルにもある「Arakelov幾何学」に出てくる数学的対象を代数幾何学的に扱いたい、というものです。
実際、論文の後半ではGeneralized ringを使ったArakelov幾何学の理論の構築がされている…はずです。(後半はあまり読めていないので、断言できませんが…)
ちなみに、Arakelov幾何学だけでなく、「トロピカル幾何学」に出てくる対象、そして(これが私自身のモチベーションでもありますが)一元体上の代数幾何学(絶対数学)もこの範疇で説明できうる、とされています。

代数的モナドの例はいくつかありますが、ここでは「環R」に対して「集合Xを生成系とする自由R加群にする」モナドを挙げます。
この場合、集合Xに対して自由R加群\oplus_{x\in X}Rxを、
集合間の写像f:X\rightarrow Yに対して加群の準同型\Sigma(f): \oplus_{x\in X}Rx\rightarrow \oplus_{y\in Y}Ryを返すのが「環Rに対応する代数的モナド\Sigma_R」です。

この代数的モナドによって追加された構造は「Rによるスカラー倍rx」と「加法x+y」、「零元0」、そして「加法の逆元-x」です。
そして、準同型というのはこれらの演算を保つような写像です。

ちなみに、加群の公理r(x+y)=rx+ryにあるように「スカラー倍」と「加法」という2つの演算は可換です。「r倍してから足しても、足してからr倍しても同じ」なので。また、(-1)x=-x0x=0などから、他の演算も可換であることが分かります。
だから、これはGeneralized ringです。

(ここまで専門用語を使った話でした)

ここまでで、私の中で代数的モナドが「集合に演算を追加し、集合同士の射を演算を保つように拡張するような関手」というイメージを持っていました。

ところで、私が論文を読んでいるうちにあることが気になり、それについて考えるうちに「演算が可換」とはどういう意味なのか、数式で考えるとどのようになるのかが急に分からなくなってきました。
そこで、実際に手を動かしながら一つ一つ確かめていきました。
そうすると、今まで分かっていたと思っていた「代数的モナド」のイメージが間違っていたかもしれない、ということに気づきました。
具体的には、射の方をあまり考えておらず、特に「集合同士の射から演算を保つように拡張する」部分が本当に正しいのか分からなくなっていました。

このように、論文を読んだり問題を考えているうちに様々なアイデアやイメージという『夢』が出てきますが、それを実際に数式で表現してみるとたいてい『夢』が現実とずれています。
このように、「自分の妄想がガンガン削られ、真の姿を見せていく(あるいは、真の姿に近づいていく)」のが数学をやっていて一番楽しい部分だな、と感じています。

数日後、「集合同士の射から演算を保つように拡張する」というのが正しい(定義から導くことが出来る)ということが分かりました。ただ、私が思っていたのと違って「関手が合成を保つ」定義から導かれました。

私が一番心が嬉しくなるのは、自分の心の中にあることをこのように「形にする」ことです。
このブログもその一つなのですが、自分の心の中にあるものはまだ現実になっていない『夢』のようなものです。
それを現実にしていく時には、『夢』と現実のズレを認識し、自分の心の中にあるものも形になっていきます。
それが嬉しいのだと思います。

『夢』を形にすることは大変で、時には現実とのズレに直面して苦しむこともあります。
だけど、その過程を経て作られた「作品」は必ず真理に近づくものだ、と私は書きながら思うのでした。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。