競馬の名試合から見る『最後まで』の精神

おはようございます、satoです。
今週の主日の御言葉は「何でも終わりが大事だ」という主題でした。
今年も終わりが近づいていますが、各自それぞれが頑張ってここまで来たことを労いつつ、今年の締めくくりとなるこの時に最後まで熱心に行うことで良く締めくくろう!というとても希望的な御言葉でした。

ところで、私の教会ではこのことを皆がよく分かるように「最後まで諦めないことで起こったスポーツの逆転劇」をまとめた動画を説教資料として使ったのですが…

最初のバスケや最後の柔道、アルティメット(フリスビーを使った競技)はとても分かりやすい中で、1つ競馬のものもあったのですが、「これもう少し説明したほうがいいのでは?」と思ったのです。
某ゲームの影響で競馬の動画をたくさん見ていたこともあったので、今回は私が見た中で『最後まで諦めない』に相応しい競馬の名勝負をいくつか紹介しながら解説をしたいと思います
…まさか、こんなところで使われるとは、本当に感謝ですよ(´・ω・`)

前提:競馬のレースの簡単な説明

その前に、競馬のレースにはいくつかクラスがあったりします。この辺を知っていると今回のレースの凄さがより一層伝わるのかなと思って、簡潔に説明します。

競馬のレースはまず競走馬としてデビューしたばかりの馬だけが出るメイクデビュー戦があります。また、レースに一度も勝てていない馬が出る未勝利馬クラス、馬が勝った数に合わせて1勝、2勝、3勝クラス(勝利数が同じ馬だけでレースをする)を経て、全ての馬が出られるオープン戦に参戦します。

レースに出ると、順位に応じて賞金が得られます。
特に掲示板に載る5位までは「本賞金」というものが得られます。賞金は競走馬を買っている馬主さんが80%、調教師さんが10%、騎手と厩務員(実際に馬のお世話をしている人)が5%ずつ、という配分です。
その他、出走奨励金が6位以降にも与えられます(色々ルールがありますが、ここでは省略)

オープン戦の中でも、特に獲得賞金数と様々な条件をクリアした競走馬だけが、重賞(G3,G2,G1)戦に出走することができます。特にG1戦は多くの競馬のレースの中で、多くの条件を満たした馬だけが出走する最も位の高いレースです。

あと、日本の競馬の中でもJRAが主催する競馬が中央競馬、地方自治体が主催する競馬が地方競馬です。
また、各国でもそれぞれ主催するレースがありそこに日本の競走馬が参戦することもあります。

2014年 ドバイシーマクラシック

まず、こちらが最初の動画で出ていた競馬のレースでございます。
こちらで一位を取った馬は日本の競走馬ジェンティルドンナです。12番で騎手の勝負服が黒に赤いクロスのがこの馬です。

最初の説明でも少し書きましたが、海外のレースに日本の競走馬が参戦することもあるのですが、ここで勝利するのは日本国内よりハードルが高いことがあります。その理由として芝の状態を含む環境が日本とは大きく異なることがあること、海外のレベルの高い競走馬も参戦することなどがあります。

ジェンティルドンナは中団の方にいる状態でレースが進み、先頭からひとかたまりとなったところで最終直線に突入します。しかし、馬群の中の方にいて抜け出すのが難しい状況です。
ゴールまで残り400m、3~4番手にいるのですが、前と横の馬がいるために抜くための隙間がありません!
しかし、300m地点になって横にいた馬が前に出たことで空いた隣へ走路を切り替えると、最後200m開けた前に向かい、一気に加速!驚異の末脚で先頭に立つとそのまま1着でゴールしました。

このように、道が見えない状況でも最後まで諦めずに前に出ようとしてこそ、一瞬できた機会を逃さないということを表していますし、諦めないで最後まで最善を尽くしてこそ、神様が道を作ってくださるということでもあるなと思います。

余談ですが、ジェンティルドンナは牝馬、メスの馬で桜花賞、オークス、秋華賞の牝馬3歳限定G1戦で1着を取った「牝馬3冠」馬です。G1はこのドバイフリーを含めた7勝という驚異的な馬なのです。

2000 有馬記念

さて、このような馬群の中で最終直線を迎えて、最後の最後に抜け出す、というレースは色々あるかと思いますが、その中でも有名なのがこちらです。

有馬記念というのは一年の最後の芝G1戦、ファン投票で出走馬が決まるというレースです。1年の中で活躍した馬が選ばれることが多いのですが、2000年(20世紀最後)の有馬記念で出走したのがテイエムオペラオーです。7番、騎手のヘルメットが青、ピンクに緑の横線が入った勝負服を着ているのが彼です。
この時5歳なのですが、なんと出走した7つ全てのレースで1着を取っているのです。しかも、天皇賞(春・秋)、宝塚記念、ジャパンカップ4つのG1戦が含まれる中で、です。

この有馬記念を制すると「8戦8勝、年間無敗」となる、そんなレース。
しかし、レース前のトラブルによって鼻血が出、顔面が腫れ片目がほぼ塞がる怪我を負ってしまいました。
さらに、レースでもその強さを知る他の馬(の騎手)によるマークが厳しくほぼ彼の周りが塞がった状態で終盤を迎えることになりました。直前のコーナーでは後ろ3番目にいるのですが、前だけでなく左右も塞がれている状態なのが分かります。あわや絶体絶命かと思われたのですが…

310m、最終直線に入り、前の馬がバラけたことにより、オペラオーに道が開かれました!
とはいえ、その隙間はほんの僅か。しかし、彼はその道を駆け抜けます!
そして、最後に追い込んでくる馬を振り切り、ハナ差で1着をもぎ取りました!

活躍する存在には、必ず邪魔が入ってきます。
特に強い存在、輝く存在であればあるほど、その邪魔は大きくなります。
また、コンディションも完全でないときがあります。
そういうときは本当に諦めたくなるし、無理だと考えて止まってしまうでしょう。しかし、そうしてしまうと終わってしまいます。
終わりのときほど邪魔は大きくなりますが、勇敢に、大胆に突き進めてこそ邪魔なものを超えて栄光を掴み取ることができると感じました。

なお、テイエムオペラオーはこの有馬記念を勝利したことにより色々な記録を達成しました。
年間無敗(しかも全て重賞で)、秋古馬3冠(天皇賞秋、ジャパンカップ、有馬記念を同年制覇する、これを達成したのは彼とゼンノロブロイという馬だけです)、G17勝(2000年以前でこれを達成したのはシンボリルドルフのみ)…
当時の評価はさておき、間違いなく強い馬です。

2000 高松宮記念

さて、次は後ろの方から一気に先頭に出てくるというレースです。
ここで出走したのがキングヘイロー。13番、騎手の勝負服が青と緑に白の水玉というのが特徴です。

実は先程の2000年有馬記念でも出走していましたが、そこでも4位という善戦をしています。

最終直線後方にいたキングヘイローが、最後多くの馬を一気に抜き去り先頭でゴールしました。

…と、このレースだけを見るとかなりあっさりとした内容になってしまうのですが、ここで話したいのはキングヘイローがこのレースで勝利するまでの経緯です。

競走馬は血統が重視されるのですが、このキングヘイローは父母共に名馬と呼ばれる馬から生まれた『エリート』でした。こういう血統がいい馬はG1で活躍する、ということが期待されます。

ところが、このキングヘイローと同世代の馬には多くの名馬がいたのです。
まず、クラシック3冠(3歳馬限定戦の中で最もクラスの高い3戦である、皐月賞、日本ダービー、菊花賞のこと)に挑戦したのですが、そこにいたのがセイウンスカイ(長距離戦である菊花賞を逃げ切って勝利したかなり凄い逃げ馬)スペシャルウィーク(こちらは後述します)。2頭の前に思うような活躍ができませんでした。

さらに、外国産馬にはエルコンドルパサー(凱旋門賞という世界最高峰のレースで2位を取るなどの活躍をしたかなり強い馬)グラスワンダー(こちらも後述します)がおり、注目はそちらの方へ…
(この世代は黄金世代と呼ばれ、数あるサラブレッド世代の中でも有数の優秀な世代だと言われています)

このままで終わってしまうのか…と思われましたが、キングヘイローとその運営の方々は諦めませんでした。
必ずG1制覇をさせたいという思いで、多くのレースに参加させました。

一番長い距離は菊花賞の3000m、一番短い距離はスプリンターズステークスの1200m…。
しかし、いいところまでは行くのですが、なかなか勝利はできません。しかし、それでも諦めませんでした。
そして、G1戦10戦目がこの高松宮記念。1200mのこの舞台で、ついに勝利を掴み取ったのです。

このように、何度負けても最後まで挑戦し続けることで、勝利を掴んだその姿に多くの人は感動します。
私達も何度失敗したとしても、最後まで挑戦するその姿が神様を感動させると信じます。

ところで、先程の距離について、人間で言うと1200mは200m走位の短距離走、3000mは800m走くらいの中距離走という感じでしょうか…。200m走なら瞬発力がとても大事ですし、800m走ならスピードを維持する力やスタミナも必要になるでしょう。
このような色々な距離で活躍できる人はなかなか存在しないと思います(ウサイン・ボルトが800m走に出たらどうなるのか…と考えてみるとイメージしやすいでしょうか)
そんな中、菊花賞(3000m)で5位、有馬記念(2500m)で4位、スプリンターズステークス(1200m)で2位…と勝利こそはありませんが、距離を問わずに掲示板入りしている、というのは相当に驚異的なことだと思うのは私だけでしょうか…。

1999 有馬記念

最後に、こちらは最後までどうなるかわからないという名勝負です。

先程のキングヘイローの時に紹介した『黄金世代』。
日本ダービーを制し、ジャパンカップではエルコンドルパサーを凱旋門賞で破ったモンジューを含む世界の強豪を超えて勝利したスペシャルウィーク
2歳時に活躍、その後怪我でレースを走れなかったのですが、復帰し、徹底的なマークと末脚で差し切り勝利していったグラスワンダー
この2頭が競ったのが、1999年の有馬記念です。
3番、白と紫の勝負服がスペシャルウィーク、7番、白赤青の勝負服がグラスワンダーです。

試合展開としては後ろの方にてじっと力を溜めているグラスワンダーをマークするようにスペシャルウィークが最後方でついていました。
これはその前の宝塚記念というレースでスペシャルウィークをマークしていたグラスワンダーが最後の最後に一気に抜き去り勝利したことを受けての作戦でした。

最終直線に入り、グラスワンダーが溜めていた力を解き放ち一気に先頭に出ようとする、その外からスペシャルウィークも加速!
最後の最後で2頭が並んでゴールを横切りました。

この時、最後の加速からスペシャルウィーク側が勝利を確信していたくらいだったのですが、写真判定の結果勝利したのはハナ差でグラスワンダーでした。
さらに驚異的なことに前後はスペシャルウィークが前に出ていたのですが、ゴール線で”だけ”グラスワンダーが前に出ていたのです!

グラスワンダー側が「最後に抜かれた」と思うくらいギリギリだったのですが、勝利の執念がグラスワンダーに勝利を与えたのでした。
このように心と精神を注いで、全力で行なった、それが最後の最後に勝敗を左右するのです。

まとめ

というわけで、今回は「競馬の名勝負」を通して「最後まで行うこと」の大切さを学ぶ話でした。
この記事を読んで、少しでも「今年一年、最後まで諦めずに頑張ってみよう!」と思ったなら幸いです。

…正直、最初以外は某ゲームの影響を受けたチョイスだったのですが、他にも名勝負は色々あります。
「最後まで」について学ぶにしても、たとえば2007年天皇賞秋の名勝負とか、諦めない話なら2000年の宝塚記念とか。
末脚ごぼう抜きなら2000年の天皇賞秋とか。(他にも色々あるかとは思いますが、個人的にはこのレースが好きなんですよ!いろいろな意味で)
…これも全部某ゲームの影響を受けたチョイスなのですが(´・ω・`)

また機会があれば書こうかなと思います。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。