【摂理人が書く物語】二人の責任分担。その2

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【摂理人が書く物語】二人の責任分担。その1
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ある日、教会で。
A「B!今週の御言葉、ちゃんと聞けた?」
B「…聞いたよ。でも、よくわかんない。「自分の責任路線」って、どういうこと?」
A「天がしてくれることには限界がある。あとは自分が責任分担を果たさないといけないってことだよ。」
B「…それはわかるよ。でも、どうしてそうしないといけないの?」
A「…ねぇ、御言葉を聞くときにちゃんと「御言葉を悟れますように」ってお祈りした?原稿をもらったけど、それは読み返した?」
B「…なんで、そんなことしないといけないの?めんどくさ…」
A「…( ´゚д゚)
もう!今私たちは成約歴史天国、黄金の城も見ているんだよ!今まで神様を信じてきた人たちがあれほどまでに見たかった歴史を!それなのに、どうして行わないの?」
B「…へ?そうなの?」
A「そうだよ!
私たちは鄭明析先生の御言葉を通して「天国」や「黄金の城」があるということ、それがどんなところなのか、そこに行く方法、再臨と引き上げの秘密…みんな教えてもらったじゃない!?映像だって見たよね?
B「まぁ、そうだね。」
A「(反応薄…)それに、ただ「行きなさい」って天が行っているだけでなくて、先生が7ヶ月の節食祈祷をすることで私たちがそこに行けるだけの条件を立ててくださった!
でも、それを自ら確認して悟り、不義を切って直すべきところを直して、自分を作って御言葉を行うことは…自分の責任分担なの!そう、今週の御言葉でおっしゃったんだよ。」
B「…はぁ。どうしてそんなめんどくさいことを…話には聞いているけど、前から疑問だったんだよね。どうしてそんな神様も人間もめんどくさくなる方法で天国に行かせようとするのかな。」
A「…神様が私たちと「愛し合う」ため、だよ。そのために私たち人間は作られた。神様が私たちを愛の対象とするために、私たちを作って、私たちを養って、守って、ここに呼んでくださったんだよ。」
B「…愛の対象、ね。その割には「神様の愛」というものが感じられないんだけど。」
A「それも、私たちが自ら神様を呼んでみてこそ、感じられるって御言葉でもおっしゃったでしょう?
どんなに天がすべての責任分担を果たしてくださったとしても、それには限界がある。「人間の意思」には神様はタッチできない。天には天の責任路線、限界線があるの。そのあとは私たち人間が行わないといけない…」
B「…またそれ。昔と話が違う…」
A「今はそういう時代!
今は「神様と愛し合う、新婦の時代」だから、「信じれば救われる」なんてのは昔の話!」
B「…そうなの?」
A「それも、先生が教えてくださったでしょう!
…ねぇ、どうして今まで御言葉を聞いていたのに引き上げられなかったのかわかる?」
B「…神様の助けが足りないから?」
A「あなたが<救いと引き上げ>を等閑視し、「救い人」を疎かにしたからだよ!」
B「…疎かにした、なんて失礼な。私だってメシアは信じてる。」
A「あ…ごめん。言い過ぎたね。」
B「…イエス様を。」
A「…え?」
B「いや、だから、ちゃんと「イエス様」を信じてるし、その御言葉通りにしようとしてるよ。私だって祈っているし、兄弟姉妹を愛そうとしてるし…」
A「(嘘…!こんなところまで…( ´゚д゚))
…今イエス様を信じても「この時代の救い」は得られないよ。
「この時代の救い人」を通して、神様に進み出て信じる。それだけしか<その時代の救い>を得て、引き上げを成せない。」
B「「この時代の救い人」…ね。どうせそれが…あ。
もう時間だ。学校行かないと、それじゃあ、また夜に…。」
A「あ!ちょっと待っ…!」
止めようとするAを横目に立ち去るB。そこにはどこか「苛立ち」が見え隠れしている…。
A「「この時代の使命者」とその人が伝える「時代の御言葉」を信じないから<救いと引き上げ>を剥奪される。
また、「この時代の使命者」に会って、「時代の御言葉」を聞いても、自分の生に溺れ、自己中心に溺れ、この世に溺れて行わないから…か。」
その態度と悟れなさに落ち込むA。しかし。
A「それでも、私はお祈りしよう。
Bが「この時代の使命者」を悟って、一日でも早く御言葉を聞いて行えるように…。」
A「神様、聖霊様、御子主よ…感謝します。
今日Bと話をしたのですが、彼女はこの時代についてまだよくわかっていません。それに、わかろうともしていません。自分の生活に溺れてしまっています。
…私に足りないところがありましたか?神様の心情をうまく伝えられなかったことを悔い改めます。
…私の言い方、やはり強すぎたのでしょうか?私の口を主管してください…。
Bだって、摂理に来て、それでも神様を愛そうとしてきていました。自分の考えは拭えないけど、一生懸命ついてきました。神様、彼女がこのまま引き上げられないのは、あまりにももどかしいです。神様だって、そうではないのですか?
どうか、どうか、彼女が一日も早く「この時代の使命者」を悟って、早く引き上げの生を生きられるようにお祈りします…。」
ー御言葉を与えて、悟らせても、<信じるか、信じないか>、<行うか、行わないか>は「自分の責任路線」であり、「自分の選択、自分の意思」だ。ー
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この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。