聖書の人物紹介「エステル」編

おはようございます、satoです。

今日からまた聖書読みを強化していこうと思います。
以前も聖書を読んでとても深く読めたのですが…もっと深く読んで、自分の信仰を強化していきたいと思います。

それで、今日はある聖書の人物を紹介したい感動、というかインスピレーションが浮かんだのでそれを書いてみたいと思います。

エステル記

旧約聖書の中盤に出てくる「エステル記」。
これはエステルという人物が主人公となっている聖書の出来事をまとめたものです。
エステルは女性ですが、旧約聖書でタイトルになっているのは「ベツレヘムからメシアが生まれる」預言をした「ミカ書」、異邦人だったルツが神様によって祝福を受けた「ルツ記」とこの「エステル記」のみ。
これが書かれていた当時は「男尊女卑」の傾向が強かったイスラエルにおいて、このように「女性を主人公として書いた」箇所というのはとても貴重です。
それと同時に、書かれていた女性は「信仰の模範となる」くらいとても信心深く、またその御業がものすごいです。

エステル記が書かれたのは南ユダがバビロンによって滅ぼされた後、バビロンに変わってペルシャが支配していた時代でした。
この時の王はアハシュエロス王(クセルクセス1世)ですが、この時の国の規模は

アハシュエロスすなわちインドからエチオピヤまで百二十七州を治めたアハシュエロスの世、-エステル記1賞1節

とかなり巨大でした。
そんな中、アハシュエロス王はある日国を挙げての宴会を催し、その一番盛り上がった時に王妃のワシテを出そうとしました。

アハシュエロス王、エステル記を読んでみると、自分の王妃ワシテと一緒に働きましたね?「このようにしなさい」と言いましたが、自慢しようと思いましたが、「一緒に働いた人だ」、しかし、最後までそれを言うとおりにしなかったのです。-2005年の鄭明析先生の御言葉より

しかし、上の御言葉に出ているようにワシテはアハシュエロス王の意図をわからず、言うことを聞きませんでした。それに怒ったアハシュエロス王はワシテを追放、新たな王妃を探すことにしました。

そこに選ばれたのがユダヤ人のエステル。彼女はおじのモルデカイの言うことに従い、自分がユダヤ人であることを誰にも話しませんでした。

ユダヤ人の危機とエステルの祈り

さて、アハシュエロス王のもとで重宝されていた部下がハマン。彼は自分にすべての人がひれ伏す命を王に出させましたが、神様を信じていたモルデカイは一人ハマンにひれ伏しませんでした。

これに怒ったハマンはモルデカイの民族である「ユダヤ人」を殺す法律を立てるよう王に進言します。その言葉を鵜呑みにして法律を作ったアハシュエロス王。
このとき、モルデカイは王女となったエステルにこのように話しました。

モルデカイは命じてエステルに答えさせて言った、「あなたは王宮にいるゆえ、すべてのユダヤ人と異なり、難を免れるだろうと思ってはならない。あなたがもし、このような時に黙っているならば、ほかの所から、助けと救がユダヤ人のために起るでしょう。しかし、あなたとあなたの父の家とは滅びるでしょう。あなたがこの国に迎えられたのは、このような時のためでなかったとだれが知りましょう」。-エステル記4賞13-14節

エステルが王女となったのは神様の感動があったから、そしてそれは「ユダヤ人の危機を救う」ための神様の御心があるから、とモルデカイが話しました。
そしてそれを聞いたエステルは決心して次のように話します。

「あなたは行ってスサにいるすべてのユダヤ人を集め、わたしのために断食してください。三日のあいだ夜も昼も食い飲みしてはなりません。わたしとわたしの侍女たちも同様に断食しましょう。そしてわたしは法律にそむくことですが王のもとへ行きます。わたしがもし死なねばならないのなら、死にます」。-エステル記4章16節

王の許可なく王の前に行けば、王女でも死あるのみ。
そのような状況の中で、エステルは断食祈りの後、命を掛けて王の前に進み出るのでした。

鄭明析先生の御言葉で、このようにしたエステルを「民族のために命を掛けて祈った人」として教えて下さいました。

決死の祈りとその結果

三日間の祈りの後、エステルは王の前に進み出ました。王はエステルに憐れみを施し、前に出ることを許し「何が願いなのか」と話しました。
それに対して、エステルは王のための宴会を用意するのでハマンと共に来てほしいと話しました。
こうして、王はハマンと共に来て宴会を楽しみました。さらに、エステルは明日もまた宴会をするのでハマンと来てほしいと話しました。

王はもちろん、ハマンもとても心を楽しみ、浮かれていました。
その二日目の宴会の時に、ついにエステルは自分たちの民族が殺されようとしていること、そしてそれがハマンの仕組んだことだということを話しました。

こう書いてみると改めて思うのですが、いくら祈ったとはいえ、王の前に出ていきなり「私の民族がハマンに殺されようとしている」なんて言っても、王は信じなかったでしょう。ハマンは王に信頼されている部下でしたし。
だから、エステルは最初にハマンと共に宴会を設け、心を楽しませました。そうして王の心を信頼させ、自分の言葉を聞いてもらえるようにしたのでした。
本当に神様の知恵です。

エステルの話を聞いた王は激怒、さらにハマンがエステルに助けを乞うているところを「襲おうとしている」と見て、ハマンを処刑しました。
さらに、モルデカイに「ユダヤ人を殺そうとする人たちを殺す」新しい法を作らせました。
このように、最終的には「ユダヤ人を殺す」計略を図った敵が、その計略によって殺されるということが起こりました。

そうして、エステルは民族を救い、モルデカイもまた王の次に高い位になったのでした。

民族の祈り

エステル記をまとめて思うことは色々ありますが、一番は民族の危機の時に祈ることの大きさです。
エステル記を見てみると、民族のために命を賭けて祈った人がいるから、民族が救われ、命が守られていることがわかります。
たとえ、民族の危機が迫っていたとしても、助かるのが不可能な状況に見えても、そのために祈るならば神様が「全知全能さ」を持って必ず救われる。
そのことがとても切実に感じられる、10章です。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。