「目立たない、普通のように見える行い」に神様の御心がある。
おはようございます、satoです。
前回に続いて、今週から始まった聖書通読強化期間中に気づいたことをメモしたいと思います。
今回はイサクの人生についてです。
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イサクとは
アブラハムの息子で、ヤコブの親です。
アブラハムといえば、神様の前で絶対的な信仰を立てた「信仰の父」。その象徴的なシーンがこちら。
神は言われた、「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」。…
彼らが神の示された場所にきたとき、アブラハムはそこに祭壇を築き、たきぎを並べ、その子イサクを縛って祭壇のたきぎの上に載せた。そしてアブラハムが手を差し伸べ、刃物を執ってその子を殺そうとした時、…み使が言った、「わらべを手にかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子、あなたのひとり子をさえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」。-創世記22章2-12節
アブラハムはずっと子供が生まれないまま、様々なことをしてきました。その末、最終的に神様によって100歳の時にイサクを得ました。
そのイサクを「捧げなさい」と話した時、アブラハムはその言葉通りにしました。
あれほど欲しがっていた子供を、失う…その葛藤はあれど、最終的には「神様がもっと良くしてくださる」と信じて、全てを天に委ねました。
それが、神様の前に大きな信仰の条件を立てました。
一方、ヤコブはイスラエル民族の父。
ヤコブはイスラエルとも言われてますが、そのエピソードがこちら。
ヤコブはひとりあとに残ったが、ひとりの人が、夜明けまで彼と組打ちした。…その人は言った、「夜が明けるからわたしを去らせてください」。ヤコブは答えた、「わたしを祝福してくださらないなら、あなたを去らせません」。…その人は言った、「あなたはもはや名をヤコブと言わず、イスラエルと言いなさい。あなたが神と人とに、力を争って勝ったからです」。-創世記32章24-28節
この時、ヤコブは兄エサウに再会するのですが、エサウとは色々あって憎まれていました。
そこで、自分の命、そして愛する家族の命を守るため、一晩神様と祈り、ついに神様の心を向けて祝福を得ました。
その結果、エサウはヤコブを愛で迎え、平穏無事に済んだのでした。
その後、生まれた12人の子供からイスラエル民族が生まれました。
だから、ヤコブは「イスラエル民族の父」なのでした。
さて、この二人の間にいるのがイサク。
二人ほどエピソードがなく、少々地味な印象の彼です…。
先程のアブラハムのエピソードでアブラハムとともに従順し、自らの命を神様に捧げようとしたことから、彼もやはり信仰が堅い人であることはわかります。
その一方、ヤコブより「鹿の肉をくれる」という理由でエサウを気に入っていたり、目が見えなかったこともあってエサウのふりをしたヤコブに祝福を与えるなどちょっと抜けている印象もある、そんな人です。(もちろん、これは神様の御心もあったのですが)
そんな彼が唯一していたこと、それは…。
そしてイサクは父アブラハムの時に人々の掘った水の井戸を再び掘った。アブラハムの死後、ペリシテびとがふさいだからである。イサクは父がつけた名にしたがってそれらに名をつけた。しかしイサクのしもべたちが谷の中を掘って、そこにわき出る水の井戸を見つけたとき、ゲラルの羊飼たちは、「この水はわれわれのものだ」と言って、イサクの羊飼たちと争ったので、イサクはその井戸の名をエセクと名づけた。彼らが彼と争ったからである。 26:21彼らはまた一つの井戸を掘ったが、これをも争ったので、名をシテナと名づけた。 26:22イサクはそこから移ってまた一つの井戸を掘ったが、彼らはこれを争わなかったので、その名をレホボテと名づけて言った、「いま主がわれわれの場所を広げられたから、われわれはこの地にふえるであろう」。-創世記26章18-22節
井戸を掘ることでした。
…うん、地味だ。イサクはやはり目立ったことをしていない、そう思っていました。
今回の聖書通読をするまでは。
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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