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手を動かして残るもの、考えで残るもの

手を動かして残るもの、考えで残るもの

おはようございます、satoです。

手で絵を描いたら絵を得、手で文章を書いたら文章を得、手で作品を作ったら作品を得る。
このように脳もしきりに考えることで得る。

という御言葉がありました。
実際、これは数学でもそうだな、と今研究しながら思います。

数学の世界は「考え」の世界です。
より抽象的で本質的なものを、具体的な計算・数式から抽出し、それを記号と数式で書き表す。
数式に込められた本質的な情報を読み取り、理解する。
普通の世界では考えられないくらい「鋭い」考えがあちこちに飛び交っています。

それではどのようにしてこのような深い考えを得るのか、というと。
結局のところ繰り返し考え、繰り返し手を動かしていくことで得られます。
同じ問題を繰り返し考え、繰り返し計算し、証明を試み、その都度失敗して、その中で発見をして、それが組み合わさった時に深い考えを得ることができます。
脳がしきりに考えることで得られるのは深い考え、鋭い考え、本質的な考えです。
この考えが神様の考えと結びついた時、最高の次元に到達したということができます。

しかし、このように考えたことも結局書き残さなければただの考えで終わり、何も残らなくなります。
自分の中にあったとしても、それは単なる空想と同じ。たとえ正しい証明、構想だとしても、それを数式で表現して書き残さなければ数学の世界では何も残らないのです。

繰り返し考え、繰り返し計算して得た深い構想と本質。
それを表現する数式を手で書く。

そのようにして得られたのが数学の研究であり、論文なのです。

最近、久々に数学の研究の話を聞いていましたが、以前より頭が混乱したり飽和状態になることは少なくなりました。
なんとなくですが「本質的な情報」と「そうでない情報」が分別できて、より本質的な情報のみを得ようとすることに慣れてきたから、なのかもしれません。
昔は出て来る数式を全て理解しようとして追いつけず脳がフリーズしていましたからね…(´・ω:;.:…

絵も、最初に構想があって、それから手で書きます。

文章も最初に考えで構想を受けて、それを手で表現します。

構想を受けることも難しいですし、それを表現することもとても難しいです。特に神様の構想を表現するのはかなり。

諦めてしまうのは簡単ですが、それでは何も得られません。だから、私たちは今日ももがくのです。
研究も、芸術も、文章書きも、そしてありとあらゆる仕事も、人生も、本質的には「神様の考えをどれだけ表現・実現できたか」で決まるのです。
そこは皆変わりません。

私は研究者であり、文章書き、という位置があります。
この位置で少しでも神様の考えを実現できるように、そして神様の構想を受けられるように頑張ります。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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