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聖書に出てくる「揺祭」って何?

おはようございます、satoです。

今日は聖書に出てくる用語を解説してみます。
今回は「揺祭」です。

揺祭とは

旧約聖書に出てくる神様に捧げる捧げ物の一つです。

「イスラエルの人々に言いなさい、『酬恩祭の犠牲を主にささげる者は、その酬恩祭の犠牲のうちから、その供え物を主に携えてこなければならない。主の火祭は手ずからこれを携えてこなければならない。すなわちその脂肪と胸とを携えてきて、その胸を主の前に揺り動かして、揺祭としなければならない。そして祭司はその脂肪を祭壇の上で焼かなければならない。その胸はアロンとその子たちに帰する。-レビ記7章29-31節

形式としては、酬恩祭で捧げられた羊等の捧げ物の内脂肪と胸肉を持ってきて、胸肉を「揺り動かす」ことによって捧げる捧げ物です。
この捧げられた胸肉は挙祭として捧げられた右ももの肉と共に祭司のものとなります。

清めをなす祭司は、清められる人とこれらの物とを、会見の幕屋の入口で主の前に置き、祭司は、かの雄の小羊一頭を取って、これを一ログの油と共に愆祭としてささげ、またこれを主の前に揺り動かして揺祭としなければならない。-レビ記14章11-12節

実際にするのは先に挙げた酬恩祭の他、清めの時にもされるようです。

揺祭の意味

揺祭とはどう言った意味があるのでしょうか?
これについては聖書内で詳しく説明されていませんが、「揺り動かす」という言葉は別のところでも使われています。

そして主は、シャルテルの子、ユダの総督ゼルバベルの心と、ヨザダクの子、大祭司ヨシュアの心、および残りのすべての民の心を、振り動かされたので、彼らは来て、その神、万軍の主の家の作業にとりかかった。-ハガイ書1章14節

ちょっと言葉は違いますが、ここに「振り動かす」という言葉があります。
今週の御言葉では韓国語訳だと感動させる、興奮させるという意味であることが説明されました。
この聖句の場面では「神様の聖殿を建築するよう心を動かされた、感動を受けた」ということを表しています。

このことから、揺祭とは「神様の前に心を動かす、興奮させる」ことを意味すると推測されます。
実際、酬恩祭のときには「神様に対する感謝の心」を、清めのときには「神様の前で罪から離れる心」を奮い立たせる、ということが必要とされるので、この考えはあながち間違いでないかと思います。

この時代の「揺祭」

さて、現在のキリスト教ではこのような捧げ物を捧げる礼拝はされていません。
それは、キリストであるイエス様が唯一の捧げ物となって罪から贖われたから、とされるからです。
それでは、現在において「揺祭」とは意味のないものなのでしょうか?

わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。-マタイによる福音書5章17節

この聖句にあるように、そうではありません。
形を変えて、より本質的な方法を持って今も「揺祭」がされています。
たとえば、別の聖句では今は私達自身が捧げ物となって礼拝を捧げるとされています。

それなら、今の時代の「揺祭」とは何か、というと「私達自身の心を興奮させること」と考えられます。
興奮と言っても「ウオォォ~~!」と興奮するだけでなく、今週の御言葉では私達が好きで喜び感謝して行うことが興奮することと説明されていました。
興奮と聞くと熱戦を見る時の興奮や異性を見た時の興奮を思い描くかもしれませんが、それだけではないのです。

私も今の記事や「真理の森の数学セミナー」を好きで喜んで、”興奮して”書いています。
だから、長いこと書いても苦痛ではありません(笑)
そのような心を神様が喜ばれるのです。

というわけで、私達も神様の前に「真実な心で」揺祭を捧げましょう!

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代まであと一歩。数学者を志す大学院生で、教育系の仕事もしています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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