聖書研究:ヨハネの黙示録2章23節

おはようございます、satoです。
本日は主日礼拝の御言葉で出てくる聖句の研究をしていきたいと思います。
本日はこちら!

2:23また、この女の子供たちをも打ち殺そう。こうしてすべての教会は、わたしが人の心の奥底までも探り知る者であることを悟るであろう。そしてわたしは、あなたがたひとりびとりのわざに応じて報いよう。 

口語訳聖書 ヨハネの黙示録2章23節

ヨハネの黙示録2章23節です。ここだけを見ると「神様が人の心の奥まで知る人」「神様が一人一人の行いに報いる」ということだけは分かりますが、それ以外、特に前半はよく分からないですよね。
今日はこの前後を見ながら、理解をしていきたいと思います。

1:9あなたがたの兄弟であり、共にイエスの苦難と御国と忍耐とにあずかっている、わたしヨハネは、神の言とイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた。 1:10ところが、わたしは、主の日に御霊に感じた。そして、わたしのうしろの方で、ラッパのような大きな声がするのを聞いた。 

口語訳聖書 ヨハネの黙示録1章9−10節

そもそも、これは誰が話しているのかというと「イエス様」です。
十二弟子の一人であるヨハネが霊的な啓示を受けて、イエス様から言葉をもらっている場面なのです。

1:17わたしは彼を見たとき、その足もとに倒れて死人のようになった。すると、彼は右手をわたしの上において言った、「恐れるな。わたしは初めであり、終りであり、 1:18また、生きている者である。わたしは死んだことはあるが、見よ、世々限りなく生きている者である。そして、死と黄泉とのかぎを持っている。 1:19そこで、あなたの見たこと、現在のこと、今後起ろうとすることを、書きとめなさい。 1:20あなたがわたしの右手に見た七つの星と、七つの金の燭台との奥義は、こうである。すなわち、七つの星は七つの教会の御使であり、七つの燭台は七つの教会である。

口語訳聖書 ヨハネの黙示録1章17−20節

この中にある「死んだことはあるが、世々限りなく生きている者」というのは十字架に架けられて肉体は死んだけど復活したイエス様だけに使われる表現です。
このイエス様がこれから「7つの教会」に向けてそれぞれ御言葉を話している、というのが2章以降の内容です。

さて、2章23節で話されている教会はテアテラ教会です。
テアテラというのは現在のトルコにある地域のことで、そこでは近くに偶像崇拝をしているところがあったらしく、それを受けての内容のようです。

2:18テアテラにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。

『燃える炎のような目と光り輝くしんちゅうのような足とを持った神の子が、次のように言われる。 2:19わたしは、あなたのわざと、あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐とを知っている。また、あなたの後のわざが、初めのよりもまさっていることを知っている。

口語訳聖書 ヨハネの黙示録2章18−19節

テアテラ教会のいいところとして、その行い、愛、信仰、奉仕、忍耐が神様の目に留まるほど良いということ、また、その行いが初めより良くなっている、ということが挙げられています。
後者については、別の教会で直すべきところとして挙げられている箇所でもありました。

2:4しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。 2:5そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起し、悔い改めて初めのわざを行いなさい。もし、そうしないで悔い改めなければ、わたしはあなたのところにきて、あなたの燭台をその場所から取りのけよう。

口語訳聖書 ヨハネの黙示録2章4−5節

テアテラ教会に対しては、その後でこのように指摘なさいました。

2:20しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは、あのイゼベルという女を、そのなすがままにさせている。この女は女預言者と自称し、わたしの僕たちを教え、惑わして、不品行をさせ、偶像にささげたものを食べさせている。 2:21わたしは、この女に悔い改めるおりを与えたが、悔い改めてその不品行をやめようとはしない。

口語訳聖書 ヨハネの黙示録2章20−21節

このイゼベルという女が教会にいる人に自分の考えを教え、惑わして行いを悪くさせるようにしていました。
そして、その行いを悔い改めさせようとしましたが、彼女は止めることがありませんでした。

ところで、イゼベルといえば、列王記上に出てくるアハブの妻イゼベルのことを思い出す人もいるかもしれません。
そこで、ちょっとイゼベルについて振り返ってみましょう。

16:30オムリの子アハブは彼よりも先にいたすべての者にまさって、主の目の前に悪を行った。 16:31彼はネバテの子ヤラベアムの罪を行うことを、軽い事とし、シドンびとの王エテバアルの娘イゼベルを妻にめとり、行ってバアルに仕え、これを拝んだ。

口語訳聖書 列王記上16章30−31節

イゼベルはシドンの王の娘で、バアルという偶像を崇拝していました。彼女がどんどんバアルの預言者たちを呼び寄せたことで、イスラエルの民たちも偶像崇拝をするようになりました。さらに、神様の預言者を殺してもいます。

18:4イゼベルが主の預言者を断ち滅ぼした時、オバデヤは百人の預言者を救い出して五十人ずつほら穴に隠し、パンと水をもって彼らを養った)。 

口語訳聖書 列王記上18章4節

一方で、この聖句に出てくるオバデヤは神様の預言者を匿い命を助けていますが、このように神様を畏れる人もいます。
ちなみに、このオバデヤという名前は複数出てきますが、オバデヤ書のオバデヤと同じなんでしょうか?

イゼベルはバアルを信仰させ、神様を信じる人を殺しただけではなく、アハブを惑わして悪を行わせることもしています。

21:5妻イゼベルは彼の所にきて、言った、「あなたは何をそんなに悲しんで、食事をなさらないのですか」。 21:6彼は彼女に言った、「わたしはエズレルびとナボテに『あなたのぶどう畑を金で譲ってください。もし望むならば、その代りに、ほかのぶどう畑をあげよう』と言ったが、彼は答えて『わたしはぶどう畑を譲りません』と言ったからだ」。 21:7妻イゼベルは彼に言った、「あなたが今イスラエルを治めているのですか。起きて食事をし、元気を出してください。わたしがエズレルびとナボテのぶどう畑をあなたにあげます」。

21:8彼女はアハブの名で手紙を書き、彼の印をおして、ナボテと同じように、その町に住んでいる長老たちと身分の尊い人々に、その手紙を送った。 21:9彼女はその手紙に書きしるした、「断食を布告して、ナボテを民のうちの高い所にすわらせ、 21:10またふたりのよこしまな者を彼の前にすわらせ、そして彼を訴えて、『あなたは神と王とをのろった』と言わせなさい。こうして彼を引き出し、石で撃ち殺しなさい」。 21:11その町の人々、すなわち、その町に住んでいる長老たちおよび身分の尊い人々は、イゼベルが言いつかわしたようにした。彼女が彼らに送った手紙に書きしるされていたように、 21:12彼らは断食を布告して、ナボテを民のうちの高い所にすわらせた。 21:13そしてふたりのよこしまな者がはいってきて、その前にすわり、そのよこしまな者たちが民の前でナボテを訴えて、「ナボテは神と王とをのろった」と言った。そこで人々は彼を町の外に引き出し、石で撃ち殺した。 21:14そして人々はイゼベルに「ナボテは石で撃ち殺された」と言い送った。

21:15イゼベルはナボテが石で撃ち殺されたのを聞くとすぐ、アハブに言った、「立って、あのエズレルびとナボテが、あなたに金で譲ることを拒んだぶどう畑を取りなさい。ナボテは生きていません。死んだのです」。 21:16アハブはナボテの死んだのを聞くとすぐ、立って、エズレルびとナボテのぶどう畑を取るために、そこへ下っていった。

口語訳聖書 列王記上21章5−16節

要約すると、アハブの城の近くにいるナボテが良い葡萄畑を持っていたので、アハブがそれを金で買い取ろうとしたところ「先祖の土地だから」と断り(これは神様の律法にも「先祖からの嗣業を守るように」と書いてある正当な理由)ましたが、それを聞いたイゼベルが偽りの証言によってナボテを殺し、その葡萄畑をアハブに手に入れさせたのです。

このようなイゼベルの仕業を一言で表したのが次の聖句です。

21:25アハブのように主の目の前に悪を行うことに身をゆだねた者はなかった。その妻イゼベルが彼をそそのかしたのである。 

口語訳聖書 列王記上21章25節

話を黙示録に戻します。
列王記のイゼベルのように、神様を信じる人たちを惑わし、自らが信じる偶像を信じさせ、また唆して悪いことをさせたのが黙示録に出てくる「イゼベル」です。イゼベルは象徴と言えます。
これに対して、神様がどのようにするのか、というのが次の聖句です。

2:22見よ、わたしはこの女を病の床に投げ入れる。この女と姦淫する者をも、悔い改めて彼女のわざから離れなければ、大きな患難の中に投げ入れる。 2:23また、この女の子供たちをも打ち殺そう。こうしてすべての教会は、わたしが人の心の奥底までも探り知る者であることを悟るであろう。そしてわたしは、あなたがたひとりびとりのわざに応じて報いよう。 

口語訳聖書 ヨハネの黙示録2章22−23節

まず、イゼベル本人は病気にさせ、イゼベルと姦淫する、つまりイゼベルを慕い従う人たちも悔い改めてその行いを直さないと大きな患難…苦しみに合わせる、ということを話しています。
さらに、このイゼベルの子供…これはイゼベルの子供、というより「彼女の教えを受けて育った人、彼女と同じ認識の人」を指しているのだと思いますが、その人たちを教会から離そうとしているのかなと考えます。
重要なのは、この「子供」はおそらく見た感じでは明らかにならないくらい、表向きは神様の人として振る舞っているのではないか、ということです。詐欺師も表向きはいい人そうですが、実際に話していく中で自分の利のために現実に起きない話をし、それによってお金を得ていきますが、そのような感じでしょうか?
しかし、神様はその心までもご存じなので「子供」の行いを明らかにさせ、神様を信じる世界から追い出す、と宣言しているのかなと思います。

2:24また、テアテラにいるほかの人たちで、まだあの女の教を受けておらず、サタンの、いわゆる「深み」を知らないあなたがたに言う。わたしは別にほかの重荷を、あなたがたに負わせることはしない。 2:25ただ、わたしが来る時まで、自分の持っているものを堅く保っていなさい。

口語訳聖書 ヨハネの黙示録2章24−25節

一方で、テアテラの中にいるまだイゼベルに惑わされていない人たちには、他のことを求めず「ただ自分の持っているものを堅く保ちなさい」と話しています。この持っているもの、というのは「神様への信仰」で間違い無いでしょう。
元々テアテラ教会の行いはとても良いものでしたから、これを守るだけで良い、と神様は話しているのです。

この聖句に出ているように、神様は全ての人の心をご存じです。だから、その行いに報いると話しています。
この行い通りに報いるというのは「行った通りに、自分が変わって、自分の生きる世界が変わる」ということです。
世界が変わる、と言っても異世界に行くわけでなく…笑笑
「自分の周りの環境、周りの人たちが自分の行い通りに変わる」ということと考えて良いです。
こう書いてみると結構すごいことになるな…と思います。

今回の聖句は「悪い行いをすることで、悪い世界に行くようになる」と言う話ですが、逆に言うと「良い行いをする、神様を良く信じ、御言葉を行うと、もっと良い世界になる」とも言えます。そこが希望的な話でして、実際、私自身も御言葉を信じて行うようになったことで以前より生きやすい世界になったなぁと感じています。
自分を苦しめるものが少なく、神様を信じながら自分の好きなものも心から喜んで楽しめていますから、相当に良い世界だなぁと。もっと頑張っていきたいな、と思います。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。