摂理で学んで分かった「善」と「悪」、「罪」と「否定」の違い

おはようございます、satoです。

自分の中で直さなければならないところがありますが、その中の一つが否定的に物事を判断するということです。
私は御言葉を聞いても何もわからない時「自分はこれに反対している」と考えがちでした。
それによって、自分が自分で「信仰を持っていない」と考えていたようです。

ところが、最近気づいたのは私が何も感じられていないのは「反対している、聞きたくない」というより、単に「忘れている」とか「反応するのに時間がかかる」ということが多いです。
むしろ、このような要因で「反応できない」自分を見て否定的に考え、「こんな私は嫌だ、御言葉を聞きたくない」となっているのが多いです。
御言葉を聞いている時も「とっさのことに反応できない」ということが多いし、集中力がそもそも低く色々なことに流れがちなので、反応できないことが多いですが、実際のところ私の心は「言われたとおりに受け入れている」ことが多いです。
最近も色々なことがありすぎて心が追いついていない状態が続いていましたが、その状態に対して焦らずじっくり自分の心を見てみると「徐々に御言葉どおり変化している」のを確認しました。
そのことを踏まえると「反応できない自分を見て『信仰がない』と否定的に考える」というのは寧ろ自分の心を苦しめるだけだと気づきました。私の心の本心に素直に従うのが一番です。

信仰生活していて一番つらいのは罪を犯したときです。ここで言う罪、とは「神様の願うことと違うこと」と捉えてください。
上の場合「御言葉に反応できないこと」が罪だというよりは、「反応できない自分を見て『信仰がない』と決めつける自分の考え」が罪です。神様はそのように自分を判断していないのに、自分が勝手に自分を裁いているのです。

7:1人をさばくな。自分がさばかれないためである。 7:2あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。

口語訳聖書 マタイによる福音書7章1−2節

このように人を裁くな、と聖書にありますが、もっというと「自分も自分で裁いてはいけない」と思います。
裁くのはあくまで神様に委ねないとな…と思います。

罪を犯すと「なんでこんなことしてしまったんだろう」と苦しくなって、良心がとても痛んで泣きそうです。
それで悔い改めの祈りをしようとするのですが、肉体が思うように祈れず、心の苦しみがずっと残るんです…。
そう考えると「罪を犯さない」のが一番ラクです。苦しくないので。

…こう書くと「摂理の御言葉を聞いて罪の話を聞いているから、このような心の苦痛が来るのでは?」と考えそうですが、実際には摂理にいようがいるまいが、御言葉を聞こうか聞くまいか、それに関わらずこの苦しみは存在します。
全ての苦痛は罪から来る、と考えても良いです。無論、義を行うときも様々なところから苦痛は来ますが、自分が罪を犯さなければ基本辛くないです。
たとえば…私の場合、人から怒られる、悪口を言われることが多かったですが、それによって辛いと思ったことは意外と少ないです。
ずっと心に刺さって苦しかった…というよりは寝ればすぐに忘れるようなものでした。
私はずっと悪口を言われていたのに、その割にはあまり恨んでないな…と不思議に思っていたのですが、今にして思えば、「悪口を言われた」ことより「それで怒ったり、恨んだり、自分のことを悪く思った」ということで心が苦しかったのかもしれません。
逆に、中学の時自分が失敗したことや嘘をついたこと、その他色々なことをした時にはとても苦痛でしたし、今もその苦痛が残っています。
私が摂理に来る前の話なので、やはり御言葉を聞く前からこのようになっていたのだと思います。

では、どうして御言葉を聞くのか、その理由の一つとして罪が何なのかをはっきり教えてくれるからというのがあります。
御言葉を聞くと「罪」が何かを教えてくれるので、自分の心の苦痛の原因が何かについてもはっきりと教えてくれます。

御言葉を聞く前から私はずっと心が苦しかったし、不安でしたが、その原因が何かはっきりと分かりませんでした。
それで、ずっと苦しかったし、世界を恨みそうになったこともありました。
御言葉を通して罪が何かを教えてくださり、その原因がはっきりと分かったことで、過去の自分の苦痛が整理されたし、根本的な解決をしていくことができるようになりました。
このことによって自分の心が苦しみから解かれ、はっきりと救われたを感じていあmす。

だから、どのような状況にあっても御言葉をくださる鄭明析先生を先生と呼んでいるし、感謝をしているのです。

また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」。

口語訳聖書 ヨハネによる福音書8章32節

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。