伝道の書12章8節について

おはようございます、satoです。
昨年からずっと続けております聖書通読も4周目です。すっかり空き時間(特に移動時間)に聖書を読む感覚が馴染んできました。
現在は列王記上、ソロモンの話が終わったところくらいです。

ソロモンと言えば「知恵と明哲の王様」なのですが、実際ソロモンがさまざまなことに精通していたことが聖書に多く書かれています。

4:31彼はすべての人よりも賢く、エズラびとエタンよりも、またマホルの子ヘマン、カルコル、ダルダよりも賢く、その名声は周囲のすべての国々に聞えた。 4:32彼はまた箴言三千を説いた。またその歌は一千五首あった。 4:33彼はまた草木のことを論じてレバノンの香柏から石がきにはえるヒソプにまで及んだ。彼はまた獣と鳥と這うものと魚のことを論じた。 4:34諸国の人々はソロモンの知恵を聞くためにきた。地の諸王はソロモンの知恵を聞いて人をつかわした。

口語訳聖書 列王記上4章31−34節

確かにソロモンの箴言はとても多く、一つ一つの内容が深いものであると感じますし、雅歌もとても美しい言葉で神様の愛を伝えています。
このように箴言や雅歌を含めたさまざまな言葉を残したこともそうですが、動植物にもとても詳しいこと、イスラエルの周りの国々から人が来てソロモンの話を聞くためにやってきたということもその大きさを表しています。
ちょうどこの頃が神様がモーセに預言したイスラエルの祝福の預言が成就していた時だな…とこの時の描写を見て改めて思ったわけです。確かにイスラエルの人たちは平和で幸福に満ちていた…と感じます。

ところで、ソロモンの残した言葉で有名なものの一つが

伝道者は言う、「空の空、いっさいは空である」と。

口語訳聖書 伝道の書12章8節

です。実は最近マイブームのブルーアーカイブでもこの言葉が結構出てくるんですよね。
Vanitas vanitatum et omnia vanitas.(バニタスバニタータム)
って。ブルアカでは「全ては空虚である(虚しい)」って使われています。

ソロモンも実際「地上にある全てのことは空である」と話しているわけですが、これは全ての知恵と富を極めたソロモンが言うからこその重みがあるんですよね。
あらゆる知恵を持って全てのことを知ろうとしたし、自分のしたいと思うことはなんでもできる。
そんなソロモンが…あるいは、彼だからこそ「地上のことは全て虚しい、徒労である」と悟ったわけです。

ブルアカの場合、この聖句は(悪意を持った黒幕により意図的に)「全てのことは虚しい」として自分の意志を奪わせるように使われていた一方で、中心となるキャラの一人である白洲アズサはこの後に「だとしても、今日最善を尽くさない理由にならない」と付け加えることで、現実に立ち向かっていったわけです。

では、ソロモンはこの言葉にどのような意味を込めていたのか、と言うと。

事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である。 

口語訳聖書 伝道の書12章13節

このように、地上にあることは虚しいけれど、神様にあってはそうでない。
神様に従い、神様の言葉を守ることは人の生きる本分である、としているわけです。
全ての知識と知恵と富、名声を極めたソロモンの悟りが、「神様を信じ、愛することこそ人の本分」としたのはとても大事なことだと私は思うのです。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。