過ぎた日の「笑わせてくださった」経緯を振り返る。

おはようございます、satoです。

私の摂理での想い出を振り返ってみると色々なことがありました。
摂理の礼拝に出てすぐ、私が「摂理がカルト宗教だ」というネットの記事を見たとき、祈りが叶ったことを通して「祈りに関しては正しい」という感動をもらったこと。
次の日、摂理のメンバーに話して祈っていたときにイエス様の「面白い」幻を見たこと。
祈り終わったとき爆笑してたこと。

月明洞でディアボロをして、皆が笑ってたこと。
ある人が「天が笑ってくれてるから、皆が笑うんだ」って話してくれてました。

…思い出すと、私は「面白い、笑わせる」天との経緯がとても多かったです。
たぶん、摂理の中でもこういう人はいないでしょう(笑)

でも、実をいうとそういうときの多くが「私が不安なとき」だった気もします。
何も知らない私が摂理のことをネットで色々調べて、カルトだって書いてあるのを見たとき内心不安でたまりませんでした。
「自分が悪人になってしまった…」なんて、当時は考えてました。
月明洞でディアボロをした時も、行く前はかなり不安でした。

そういうとき天は私を笑わせてくださいました。
本当に、たくさん。
そう、天は「笑わせて」私を不安から出させてくださいました。
そうやって、「そんなに不安にならないで、笑っていてほしい」と願って。

罪を犯したとしても、間違ったとしても…神様はそこだけを見る方ではありません。
その問題を解決して共に生きることを願っています。
だから、「笑って」前だけを見て私に手を差し伸べるのです。

私も失敗したときは不安だらけです。
でも、神様が笑わせてくださるから。
私もちゃんと前を向いて、喜んで。悔い改めながら前に進みたいです。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。