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悔い改めについて思うこと

悔い改めについて思うこと

こんばんは、satoです。

本日は「悔い改め」についてちょっと語ってみようと思います。

そもそも、私は「悔い改め」というものがとても苦手でした。
その理由は「悪いことをしたことを責められている」ように感じるからでした。
これは日本の社会的にも「悪いことをした人」に対する風当たりが強い(非難が多い、ちょっとした非があるだけでも否定されてしまう)ということが影響しているのだと思います。
何か間違ったことをすると「人格を否定される」し、最悪「存在を否定される」言動もされかねない…。

私は小学生の時に担任の先生からちょっとしたことで怒られました。
怒鳴りつけられたり、平手打ちされるなどの体罰もありました。
また、小学生~中学生にかけてクラスメイトの一部と仲が良くなく、悪口を言われることも多かったです。
特に中学の時にはちょっとした変な行動をいじられ、ヤジを飛ばされることが多かったです。
それによって「間違ったことをしたら人格そのものを否定される」ということが認識されていました。

だから、摂理で「これをしてはいけない。悔い改めなさい」という言葉を聞くと、あるいは「してはいけない」ということをしてしまうと

私のことを否定されてしまう…!

と感じて、「私を否定しないで、見捨てないで…」という感じで必死に謝るか、「自分のこの罪をなくさなくては…」と必死に消そうとするか、「悪い人だと認識されるのが怖い」という感じでスルーするかのいずれかの反応をしていました。
また、「自分が知らずにやったことなのに、どうして摂理では「罪だから悔い改めなさい」というのだろう…」ということもよく考えていました。これも、根底的には「罪人扱いされる=人格を否定されている」という認識があるからでした。
似たようなことで「自分の故意でしたわけではないのに、どうして悔い改めなければならないのだろう」という考えもありました。

実は「悔い改め」は「人格を否定する」ためにするものではありませんし、罪があると指摘するのも「お前はクズだ」というような人格の否定をしたいわけではありません。

本来「悔い改め」というのはもっと良くなるためにすることなのです。
神様が願う「完全な生」からずれている部分、そこが「罪」。そして、ずれているところを修正し、本来の生き方をすることが「悔い改め」です。だから、罪を犯していることと「人格を否定される」ということは本来無関係な話です。もっと言うと「罪人を否定する」こと自体神様の願うこととは異なります。

実際悔い改めをするのは「罪をなくす」ためです。そうして「共に生きよう」と神様が願って、罪を悔い改めなさいというのです。
そして、罪をなくすのは自分でなく「救い主」がすることです。だから、自分が罪を消そうとうんうん祈っていても状況は改善されません。むしろ、そのことばかり考えてもっと状況が悪くなることも…私も何度この失敗をしたことか…(´・ω・`)
それは故意であろうが、そうでなかろうが変わりません。ただ、故意でない場合は早く悔い改めができます。

罪を認め、告白することで神様がその部分に手をつけて、清くなるようにしてくださいます。
「清くなる」というのは「神様の心を受け入れる状態になる」といいますか、「純粋になる」といいますか…表現が難しいです。
ただ、罪を認め告白して真摯に悔い改めようとして祈ると心が「清くなる」という感覚があることははっきりと言えます。
それはまるで「シャワーを浴びて、体を流すとさっぱりして気持ちいい」のと同じです。

大切なのは、御言葉と照らし合わせて「ずれている」ところがあったら、直ちに祈ること。
悪気があったかどうか、ではなく「自分が間違っていたこと」(≠悪。これは何度も強調したい)を認めること。
そして、それを正せるように「救い主」に願うこと。

結構悔い改めをしようとすると精神的にも妨害されることがあります。言葉が出なかったりとか、心が苦しくなったりとか。
私は結構「重くなる」というか「泥の中に入ってうまく言葉が出ない」ということがあります。
この場合でも「ひとまず一言」言葉にするだけでも違います。

とにかく、悔い改めは早い方がいいです。
故意でなくても心には影響が出ていて、それによってもっと罪を犯してしまうことがあるからです。
一日の終わりには悔い改めの祈りを捧げるといいでしょう…。眠いですけど(´・ω・`)

一つ確実に言えるのは「悔い改めをすると、確実に心が変化する」ことです。
私も以前より罪に向かう心がなくなりました。まだまだ足りませんが。
「自分が足りない」と感じて萎縮してしまう人は多いと思われますが、そういう人はむしろ幸いです。
神様はそんなあなたを愛されています。そして、愛そうとたくさんの愛を与えています。
まずはその愛を受け取って、そして素直に自分の足りなさを告白しましょう。
そうすると、きっと心が軽くなることでしょう…。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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