見ることや聞くことには「錯誤」と「手違い」が多い。

おはようございます、satoです。

私は目を通して多くの情報をキャッチすることが出来ます。
何か違和感を感じることが多かったり、細かいところにも目が行きます。
反面、聞き取りは苦手で…耳からくる情報にはかなり抜け落ちや間違いがあります。

その一方で…昔からある私の悪い癖として、見ているものを自分の空想と結び合わせて考えてしまい「実体」とは異なる結論を導いてしまいます。

つい最近もこんなことがありました。
ある日、私の知っている人が来るという話を聞いてた集まりがありました。
それで、その人の名前が呼ばれて前に出てきたのですが、見てみると

私の記憶にあったのと全く異なっていました。

いくら前に会ったのが一年前だからといってもさすがにある程度顔は記憶していたはずなのですが、「この人…あまりに印象が違う…」と一人パニックに…。
しまいには過去見てきた記憶の方を疑い、「人はこんなにも変えられるものなのか…」なんて色々ショックを受けていました…。

あとで分かってみると、前に出た人は私の知っている人と「名前」が似ていて、それを聞き間違えただけでした(笑)

私の最大の問題点は、このように「抜け落ち」や「錯誤」の多い脳にも関わらず自分がそこで得た情報と整合性が取れるように過去の出来事や人の感情の解釈を(勝手に)することです。自分の中ではそれが「最も正しそう」に思えるために、それまで親しかった人に対しても疑いを掛けてしまったり、勝手に怒っていたり、と結構問題が多いです。
おそらくこれは「過去の自分の情報に確信を持てない」という認識も相まっていると思われます。

その他にも、ある人のことについてたまたまそう見えただけで一人最悪の結果を考えショックを受けていたり、ある人の発言に対して「自分のことを悪く言っている」と誤解したり…本当に私の錯誤は多いです(´・ω・`)

錯誤していると、正しく分かるまで本当に損が多いです。
一人で勝手に落ち込んだり、やきもきしたり、自分が得られるものも得られなくなったり…。
時には一生を棒に振るくらいの大損をすることだってあります。また、自分だけでなく自分の愛する人や子供にまで害が及ぶこともあります。

イエス様が地上に来られた時、ユダヤ教の人たちはイエス様を「ただの人間」と錯誤し、神の子であることを話すイエス様を迫害します。そうして、イエス様から来る「子女級になれる救い」を受けられず、ユダヤ教の人たちはしもべ級にとどまってしまいました。しかも、その後ユダヤ教の人たちはイスラエルを奪われ、あちこちの国をさまよい、多くの国で迫害され…と一人の一生どころか、民族レベルで損をしています。

本当に、錯誤は恐ろしいです。

自分の見ているものは正しいのか?

偉大な人なのに、錯誤してなんでもない人として見ていないのか?

大切なモノを、錯誤によって見失っていないのか?

すぐ目の前に百億円とも変えられない貴重なものがあるのに、それを錯誤によって見落としていないのか?

いつも、確認をしなければなりません。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。