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摂理あるある:御言葉のタイミングがピッタリすぎる…

摂理あるある:御言葉のタイミングがピッタリすぎる…

まさに、神業。

こんばんは、satoです。

昨日あるミスがきっかけで「私はダメ人間なのでは…」という感が拭えなかった私。
そういう時は御言葉を聞いてもあまり深く入らず、心に受け入れられない、というもがきを書きました。
御言葉で「これをしよう!」と神様が仰っても、なかなかやりたい気持ちになれない…というより「やりたくはあるけど、なんか素直に出来ない」状態になるのでした。

そんな私ですが、今朝の明け方起きて、お祈りをしていました。
どうしても、人間関係に依存してしまう…という話も、色々しました。
そんな中、明け方の礼拝で伝えられた御言葉のタイトル。それが

自分の考えの沼に落ちるな

でした。…あまりにも昨日の私にぴったりすぎて、聞いた瞬間、笑いが出てしまいました。
「あ~、完全にこれ私や…(笑)」というね。

このように、今の自分の状態、時に合う御言葉が伝えられるということがよくあります。私の場合、自己主観にハマって、やりたいけどスネて素直になれない、というもがき状態が極に達した時によく出てきます。そういう時の御言葉は、「神様がリアルタイムで見ているんじゃないか?」というくらい、御言葉の内容が自分に合致しているんですよね。
こんな感じで自分に合う御言葉を人間の力で選び出す、というのはハッキリ言って不可能に近いです。

私の場合、昨日の夜に話をした何人かは私が調子を崩していることを知っています。しかし、それを知ったのは夜の9時過ぎで、それを説教者に伝えて、御言葉を決める…なんてことはできません。たぶん、説教者は私が自己主観にドハマリしていたことなど知らないでしょう…(笑)
そもそも、朝の御言葉を何にするかは説教者の一存で決められるわけではありません。

説教者が知らないのに、自分の現状に合う御言葉が出てくる、という事実。それが、摂理の御言葉が神様の伝えられたものである、ということを明確に証しています。

その上、あなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。-ルカによる福音書12章7節

神様は24時間私達をご覧になっていらっしゃいます。そして、私達の頭の毛の数まで全てご存知です。

そんな神様だからこそ、私の状態にピッタリ合うような御言葉を用意できるのです。

その後…

さて、この御言葉を聞いた私は、自分が嫌われる、ダメな人間だ…という自己主観にハマっていたということに気づき、その後の祈りで、自分の価値を再認識し、元気が出ました。
そして、今日の仕事は色々足りないところはありましたが、予想していたトラブルも起きず、無事リカバリーできました(^^;)

このように、自己主観というものは大抵間違っています。それは、自分の過去の経験と自分の見える範囲でしか考慮されていないものであるからです。
自分の考えはあくまで<下の次元>です。

神様は、自分のことをすべてご存知なように、すべての人のこともご存知です。
神様の視点で見ると、よりよい解決方法があるのです。そういうわけで、御言葉では「心配するな」とおっしゃるのです。
実際、今回の状況でも神様から見たら「心配することはない」とおっしゃっていたのではないかと思います。

とは言え、心配するなと言われても、自分の主観にハマっている時は心配するなって言われても心配ですよ~~~!となりますよね…。私もそうでした。
しかし、不思議な事ですが御言葉を心を開いて聞くと、本当に心配がなくなるんですよね。今回の場合もそうですが、明らかに「私の御言葉だ」とわかると心が開かれます。そうして聞く御言葉からは不思議と力がわき、問題が解決していくのです。

本当に、御言葉って不思議ですよね。

結論

昨日「人間関係に依存しすぎている」という話をしました。ある程度は事実なところもあるのですが、もしかしたらこれも考え過ぎなところがあるのかもしれません。人間関係が大事なことは事実ですから。ただ、それにとらわれすぎず、もっと神様により頼める私になりたいな、と思いました。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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