おはようございます。satoです。
今日は摂理の賛美が「信仰告白」になっているという話です。
私、摂理に来て初めて賛美を聞いたのですが…。
熱い歌詞、多いんですよ、摂理の賛美。胸熱です(笑)
色々胸熱な歌詞は多いですが…一例を挙げると
この心は、永遠に離れはしないとか
私には、ただ主だけとか
この人生を主に捧げますとか…
摂理で聞いた賛美は信仰の人生、神様の愛を表現する歌詞になっています。言い換えると『信仰告白』です。
だから、摂理の賛美は心情に熱く来たり、喜びの歌詞、希望を表現する歌詞が多いです。
そして、案外ノリノリなものも多いです。
それまでの賛美のイメージといえばどこか荘厳で静かなもので、ただ神様を讃えるものだったり、神様への祈りを歌詞にしたものが多かったと思うのですが、摂理の賛美はポップなものやダンス曲のようなものも多いです。
ちなみに、私は胸に熱く来る「心情的な賛美」が比較的好きです。
賛美をするととても力が来る、ということも書きましたが、それは歌詞の中に御子への愛があるから。
歌うことがいわば「自分の信仰告白」となるからです。
(もっとも、それをより実感するには「自分がその歌詞通りの生を生きること」が必須ですが)
摂理の賛美は昨年から多く作られているのですが、最近私が摂理に来て間もない頃の賛美がリメイク(歌詞の変更とかアレンジとか)されて、感動しました(T_T)
その歌は、私が結構歌っていたものの一つだったので…。
新しく作られた賛美もいいですが、やはり経緯の深い賛美は聞くと感動が違います。いや、ホント。
鄭明析先生の賛美を映像で見たことがあるのですが、
本当に先生の賛美って、ただ神様への告白だよな…
といつも感じます。
人の目を気にしていない。ただ、神様へ、ありったけの愛を込めて、捧げる賛美。
そして、鄭明析先生が実際に生きてこられた経緯と行いを持って「言葉だけでない、真実な」想いを告白する賛美。
その気持ちって、ある意味音楽の本質なのではないでしょうか?
メロディも、歌詞も、音程も、元々は「伝えたい何か」を表現するために作られたもの。
それが込められた鄭明析先生の賛美は、『信仰告白』と人生と実践と音楽が融合した生きたものだと感じました。
全地よ、主にむかって喜ばしき声をあげよ。
口語訳聖書 詩篇100篇
喜びをもって主に仕えよ。
歌いつつ、そのみ前にきたれ。
主こそ神であることを知れ。
われらを造られたものは主であって、
われらは主のものである。
われらはその民、その牧の羊である。
感謝しつつ、その門に入り、
ほめたたえつつ、その大庭に入れ。
主に感謝し、そのみ名をほめまつれ。
主は恵みふかく、そのいつくしみはかぎりなく、
そのまことはよろず代に及ぶからである。
この詩篇もそうですが、聖書において賛美と言えばダビデが真っ先に思い浮かびます。
ダビデも神様に対して思いっきり賛美を捧げた人です。
主の箱をかく者が六歩進んだ時、ダビデは牛と肥えた物を犠牲としてささげた。そしてダビデは力をきわめて、主の箱の前で踊った。その時ダビデは亜麻布のエポデをつけていた。こうしてダビデとイスラエルの全家とは、喜びの叫びと角笛の音をもって、神の箱をかき上った。
口語訳聖書 サムエル記下6章14−15節
例えば、ダビデがエルサレムに主の箱を迎える際、6歩ごとに捧げ物をし、全力で神様に賛美を捧げました。歌うだけでなく踊り、全身で喜びを表現しました。
これを見て妻のミカルのように躓く人もいましたが、そのことも気にせず、周りの人にどう見られるかは関係なくただ神様だけを見て賛美をしていたのです。
ダビデはミカルに言った、「あなたの父よりも、またその全家よりも、むしろわたしを選んで、主の民イスラエルの君とせられた主の前に踊ったのだ。わたしはまた主の前に踊るであろう。
口語訳聖書 サムエル記下6章21節
その想いは「イスラエルの中から自分を選んでくださった神様に対する喜び」、それ一つでした。
鄭明析先生の賛美は色々な方向性がありますが、その姿勢はダビデと同様「自分を選び、共にしてくださった神様への喜びと感謝」に他ならないと言えるでしょう。
賛美も喜んで、信仰を告白する。
鄭明析先生の賛美は、まさにこの聖句を体現したものだと、私は感じました。
そういう賛美、私も捧げられるように努力します。
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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