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エレミヤ書を読みながら感じる神様の心情。

エレミヤ書を読みながら感じる神様の心情。

おはようございます、satoです。

昨年末から聖書を読み続けています。
摂理の御言葉は聖書の言葉や歴史を土台として伝えられているものなので、摂理にいるときには聖書が必須です。
しかし、忙しかったり仕事に追われていたりすると、いつの間にか聖書を読むことから遠ざかっていました…。・゚・(ノД`)・゚・。
反省して、意識して聖書を読むようになったのですが…今の時代の流れがやはり「神様の歴史」なんだなぁと聖書を通して感じることが多々あります。
今日は昨日まで読んでいたエレミヤ書から感じたことをまとめてみたいと思います。

エレミヤ書とは

旧約聖書の大預言書の中にあります。
大預言書とは旧約時代の中でも預言者たちが多く現れた時代の中でも大きな預言をしていた人たちのことで、その一人がエレミヤです。
それ以外には裁きとメシアの降臨を預言したイザヤ、バビロンにいながら預言したエゼキエル、霊感と様々な奇跡を起こしたダニエルの三人がいます。
エレミヤ書はエレミヤの預言と生涯を書き記したものです。それ以外にも哀歌を残しています。

エレミヤ書を読んでいると分かるのですが、エレミヤは預言者たちの中でもかなり苦労人です。
エレミヤはエルサレムで神様の御言葉を伝えるのですが、この時のエルサレムの人々は神様から遠く離れ偶像崇拝をし、悪の限りを尽くしていた状態でした。
そんな中でエレミヤが「神様があなたがたの行いを見て裁かれる。悔い改めて立ち返りなさい」と預言するのですが、人々はそれを聞こうともしませんでした。
「バビロンによってエルサレムが滅ぼされる」と預言するのですが、人々はそれを戯言と思い、エレミヤを迫害します。
ときには祭司から狙われ、殺されそうにもなります。数ある預言者の中でも相当苦労しています。
結局人々は悔い改めず、エルサレムとユダはバビロンに滅ぼされてしまいます。歴史で出てくる「バビロン捕囚」です。
このとき、エレミヤはバビロンの王ネブカドネザルから恩赦を受け、エルサレムに残るのですが…エルサレムにいたバビロンの指導者をユダの指導者が殺し、そのことでユダの人々がバビロンを恐れてエジプトに逃げてしまいます。この時にエレミヤも一緒に連れて行かれました。
そして、エジプトでも「神様が裁かれる」と預言し、その通りエジプトにバビロンが攻め込んできたのでした。

…人々が話を聞かず、バカにされたり殺されそうになったり、さらには巻き込まれたり…ここまで波乱の人生を生きている預言者はあまりいない気もします。

エレミヤ書を読みながら

エレミヤ書を読みながら感じたことは大きく分けて2つあります。

まず、神様の御心から外れて裁かれることがどれほど哀しいことなのかということです。
神様の御心から外れ、罪を犯し続けるとき…神様は裁きを与えます。具体的には敵が訪れた時に保護することなく、困っていたとしても気に留めない…というように、「その人の言葉を聞かない」ことによって起こります。

しかし、あなたの神、主の声に聞き従わず、きょう、わたしが命じるすべての戒めと定めとを守り行わないならば、このもろもろののろいがあなたに臨み、あなたに及ぶであろう。…主はあなたが手をくだすすべての働きにのろいと、混乱と、懲しめとを送られ、あなたはついに滅び、すみやかにうせ果てるであろう。これはあなたが悪をおこなってわたしを捨てたからである。 主は疫病をあなたの身につかせ、あなたが行って取る地から、ついにあなたを断ち滅ぼされるであろう。-申命記28章15-21節

それでも神様に聞き従わないとき、そのときには神様は「神様を信じない人たち」を通して苦しみに遭わせ、彼らを撃ちます。
このことがバビロン捕囚の根本の原因です。

しかし、考えてみればこれほど哀しいことはありません。
イスラエルの人々は神様が特別に愛し、祝福を与えた民族です。その民族が神様を信じず、神様を侮るような偶像崇拝をしている国に敗れる…このことがどれほど神様の目からして哀しいことでしょうか。
たとえイスラエルの人々が神様を信じず離れていったとしても…。

そして、もう一つはどんな状況に遭っても神様は必ず助かる道を用意されるし、時になれば戻れるようにするということです。
エレミヤ書では

バビロンの王ネブカデネザルに仕えず、バビロンの王のくびきを自分の首に負わない民と国とは、わたしがつるぎと、ききんと、疫病をもって罰し、ついには彼の手によってことごとく滅ぼすと主は言われる。 しかしバビロンの王のくびきを首に負って、彼に仕える国民を、わたしはその故国に残らせ、それを耕して、そこに住まわせると主は言われる』」。-エレミヤ書27章8-11節

というように、エルサレムの人々が生きながらえるために「バビロンに捕囚される」という道を残していました。
人々は「自分たちが勝ってバビロンを退かせる」ことを願っていましたが、そうするにはあまりに罪が重かったのです。
しかし、人々はこの言葉を信じることができませんでした。捕囚されることで救われる、とは思ってもいなかったのでしょう。
このように、神様はどんなに私達が罪を犯し裁かれるしかない状況でも必ず救いの道を用意なさいます。しかし、それに従わなければ待つのは…滅亡のみです。

そして、

主はこう言われる、バビロンで七十年が満ちるならば、わたしはあなたがたを顧み、わたしの約束を果し、あなたがたをこの所に導き帰る。 主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。-エレミヤ書29章10-11節

このように、時になれば神様を信じない国に対価を与え、神様を信じる国が戻れるようにしてくださっています。
この間の期間が「蕩減期間」と呼ばれるものです。この時に自分のした過ちを悔い改め、心を清くして生きることで迎える準備をするのです。
私達が罪を犯したとしても、やはり「神様を信じない国」に打たれることを神様が願わない…というところがここにも現れてます。

エレミヤの人生

エレミヤは神様の裁きを前にして、エルサレムの人々に涙で悔い改めるように、救われるように御言葉を伝えました。
また、イスラエルの先を嘆き、哀しんでいました。その部分が哀歌にも出てきています。
そして、神様に取りなしながら生涯を生き続けていました。
エレミヤのその生は哀しみで終わることなく、最後には希望で残っていきました。

この時代にも通じるような、そういう話でした。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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