BS「日よとどまれ」について真剣に考察してみました。

おはようございます、satoです。
摂理で習うBS、バイブルスタディーについて少し考察してみたいと思います。
今回は「日よとどまれ」です。「サンストップ」とも呼ばれています。

ヨシュアについて

私が摂理に来た直後に「ヨシュアの話」とも言われるようになったように、この講義は「ヨシュア」が主人公です。ヨシュアという名前はあまり聞かないものですが、実はとっても有名な名前でもあります。
「ヨシュア」という名前はヘブライ語なのですが、これをギリシャ語で読むと…イエス
そう、実は「イエス様」のヘブライ語読みは「ヨシュア」(正確にはイエシュアっぽい)なのです。

初臨の御子の体となった肉体につけられるくらい、意味のある名前、ヨシュア。
では、そんな彼の生き方とはどのようなものだったのでしょうか?
これについては「ヨシュア記」に書かれています。
聖書の一節に出てくるだけでも十分すごいのに、彼は「ヨシュア記」と聖書の一つの書簡になってるわけですから、よっぽど重要なのでしょう…。

彼の物語は、モーセが死んだあと神様から約束を受けることに始まります。

1:1主のしもべモーセが死んだ後、主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに言われた、 1:2「わたしのしもべモーセは死んだ。それゆえ、今あなたと、このすべての民とは、共に立って、このヨルダンを渡り、わたしがイスラエルの人々に与える地に行きなさい。 1:3あなたがたが、足の裏で踏む所はみな、わたしがモーセに約束したように、あなたがたに与えるであろう。

口語訳聖書 ヨシュア記1章1−3節

エジプトで奴隷になっていたイスラエル民族たちを解放し、神様が約束した地カナンに導いていったモーセ。
彼もまた、神様から以下のように約束をされていました。

 6:4わたしはまたカナンの地、すなわち彼らが寄留したその寄留の地を、彼らに与えるという契約を彼らと立てた。 6:5わたしはまた、エジプトびとが奴隷としているイスラエルの人々のうめきを聞いて、わたしの契約を思い出した。 6:6それゆえ、イスラエルの人々に言いなさい、『わたしは主である。わたしはあなたがたをエジプトびとの労役の下から導き出し、奴隷の務から救い、また伸べた腕と大いなるさばきをもって、あなたがたをあがなうであろう。 6:7わたしはあなたがたを取ってわたしの民とし、わたしはあなたがたの神となる。わたしがエジプトびとの労役の下からあなたがたを導き出すあなたがたの神、主であることを、あなたがたは知るであろう。 6:8わたしはアブラハム、イサク、ヤコブに与えると手を挙げて誓ったその地にあなたがたをはいらせ、それを所有として、与えるであろう。わたしは主である』と」。

口語訳聖書 出エジプト記6章4−8節

この約束を信じイスラエルの民を導いたモーセが亡くなり、その後を引き継いだのがヨシュアでした。
ヨシュア記はイスラエルの民たちの故郷カナンを原住民から取り戻すための戦いの記録になっています。終始戦いの中生きたヨシュア。結局彼によってカナンの地はイスラエルの民たちのものになります。
そんな「勝利した人」という意味を持つヨシュア。だから、「カナンの地、つまり「神様の御心」を取り戻す」人にヨシュア(イエス)と名付けたのですね。

時が止まることについて

さて、話が長くなりましたが、BSでは次の聖句が焦点となります。

主がアモリびとをイスラエルの人々にわたされた日に、ヨシュアはイスラエルの人々の前で主にむかって言った、
「日よ、ギベオンの上にとどまれ、
月よ、アヤロンの谷にやすらえ」。
民がその敵を撃ち破るまで、
日はとどまり、
月は動かなかった。
これはヤシャルの書にしるされているではないか。日が天の中空にとどまって、急いで没しなかったこと、おおよそ一日であった。

口語訳聖書 ヨシュア記10章12-13節


これについて、色々考えるのが「日よとどまれ」の核心なのです。…が、この話を聞くと思い浮かぶことがひとつあるのです。それが

「ザ・ワールド!時よ止まれィ!」

DIOです。…ホント申し訳ないですが、なにぶんJOJOにハマっていたもので。
私が気にしていたこととは…「時間を止められる可能性」です。アニメや漫画では最強の能力とされているのがこの「時間停止」の能力です。他にもまどマギのほむらとかいますよね。

「日よとどまれ」という講義の中で「時間の奇跡」を起こすことが出来るという話になるのですが、それとは別に「本当に時が止まることはあるのではないか?」と真剣に考えていたことがあります。
実際、時間が止まったとしたら、その現象を観測することはできません。
もし、時を止めて動ける人がいたとしましょう。その人が時を止めている間、自分は「全ての身体機能」が停止しているので「認識」そのものができないんです。だから、自分からしてみれば「その人が瞬間移動した」り「一瞬で風景が変わっている」という風に認識するしかないのです。この辺はDIO然り、ほむら然りで見たことがあるかと思います。

ところで、このような現象に近いことは自分が光速くらい速く動けば実際に起こせます。
これは物理の理論で成り立つことが分かっている現象です。
相対性理論によると、時間というものはそれぞれの位置で「相対的な」ものであり、絶対不変である「光速」に合わせて変化するのです。
この理論に従うと「光速移動している人から見たら、止まっている人は”時間が停止している”ように見える」という現象が起こります。ちなみにJOJOの空条承太郎のスタンド、スタープラチナ・ザ・ワールドが時を止められるのは「光速の速さで動いている」からだそうな。

余談ですが…皆同じように流れているように思うけれど、実は「自分が動く速さ」によって長さが変わる「時間」。よくよく考えると、「時間」というものは本当に不思議なものです。物質ではないけど、物質の変化によって認識できる「時間」。果たしてこれは何者なのでしょう?実はこれ、数学でもちゃんと理解されていないものだと認識しています。

ということで、この場の結論としては
DIOとかみたいに「時を止める」ことができるかはともかく(おそらく不可能だと思いますが)、「自分が速く動くことによって、相対的に時が止まったかのような結果になる」ことは科学的にも言える
ということになるかと思います。

体感時間について

ところで、「自分からしてみれば”その人が瞬間移動した”とか”一瞬で風景が変わっている”という風に認識する」という現象だけなら、実は「光速に近い速さ」でない、普段の生活の中でも起こり得ます。それが、自分が他のことに集中しすぎて周りを見てない時。
ふと気が付いたら「あれ?いつの間におわってる?」とか「あれ?いつの間に次の駅?」ということとか。
「すべきことに集中していて、自分が降りる駅を逃した」ってこともあります。
特に集中力がかなり高い人だと没頭しすぎてあっという間に時間が過ぎていた、なんてことが起こります。これは別に「自分が速く動いたからそうなった」というわけではなく、あくまで自分の認識の問題ですが。

先ほど時間を止めるキャラとしてDIOやほむらを挙げましたが、これとは別のアプローチで時を止めているキャラとして、コードギアスR2に出るロロがいます。
その能力は「体感時間を止める」。本当に時を止めるのではなく人の「時間を認識する能力」を止めるってことです。

全ての人に時間は等しく流れていくけど、自分がいかに認識をはっきりさせるかによってその流れが早くも遅くもなる。
こんな話も鄭明析先生の御言葉の中でありました。

こう考えると時間というものはとても不思議なものだな…というのが個人的に感じることなのです。
全ての物理に深く関わるけれど、はっきり観測できるものとはまた異なる…という。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。