再び愛を…

おはようございます、satoです。

昨日今日で色々な人と話をするくらいゆったりとした休日を過ごしていました。
最近色々なことがあって、自分の考えに自信が持てず、自堕落した生活を過ごしていた分、この休日はとても良かったです。
中でも一番良かったのは「自分の過ぎた日の経緯」を話したことです。

私も長年摂理にいるだけあってか、色々な神様との経緯があります。
一つ一つを通して、自分は神様の愛を悟り、自分の過去の傷から救われたわけなのですが、時が経つとそのような経緯の味が薄れ、感謝が薄れていました。
しかし、一つだけその経緯の味を取り戻す方法があります。
それが「経緯を人に伝えること」です。

経緯、それは英語でstoryとなるように「物語」でもあります。
物語は事実を伝えるだけでは成り立ちません。

物語のきっかけとなる出来事があり。

登場人物が何をし、何を感じたのか。

その結果、どのような変化が起こったのか。

それを一つ一つ語ることで物語は成り立っています。
したがって、物語を書く際も読む際も「単なる言葉の羅列」を越えた情報量が付与されるのです。
これを私は「言葉の階層」と呼んでいます。
言葉が重なり合って、一つの世界が作られる、その様子を「階層」と感じたのです。

これと同じように、「事実だけを覚えている」ことでは味が薄れてしまいます。
それを取り戻すには、「付与された情報量」を復元する、言い換えると経緯を語ることが一番良いです。

私もここしばらく不調だった時にこの経緯を語り、どうして自分が神様を愛したのか、どこから救われたのか、を知ることが出来ました。

ちなみに、この二日間でちょっと遠出をしていました。
大抵、私が遠出すると「私の良さ」を知る機会が多いです。
これは「自分を低く見がちな」私の特性を分かって神様が「あなたはこんなに良いところがある」と教えてくださっているのだと思いました。
そのことも含めて、「自分を否定する」私の生き方から救い出そうとしてくださっている神様の愛を感じました。
本当に感謝します。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。