語ることと対話すること

おはようございます、satoです。

今日は一緒にブログを書いているLack君のこの記事を読んで思ったことを書きたいと思います。

1時間語れる分野ってありますか?真の趣味

私はおそらくあります。というか、自分が知っている多くの分野において「持論」が一つはあります。
代表的なのはもちろん数学ですが、数学の勉強の仕方、数学とはどういう学問なのかについて話せたり、数学の歴史、現状、様々なことを話せます。
あと、自分が読んでいた漫画についても語れます。おそらく一時間位は(笑)

ここまで深く考えたりしている大きな理由は「興味、知的好奇心」です。
私は、一つのことに興味を持つと必ずネットで検索して、色々な周辺の情報を知ろうとします。さらに現状どのような状態になっているのか、常に最新の情報を得ようとします。
これによって色々な知識を身につけたり、色々新しい発見をしていくのが「第一段階」です。

その次に、しばらく考察して「自分なりに情報を再構成し、整理し」ていきます。
たとえば、漫画で言えば「自分なりに新しいキャラを作って」戦わせたり、「似たような能力を考察」したりします。
こういう実験を経て「より深い設定」に気づいたり、「物語の意図」を知ったりする、これが「第二段階」です。

そして、最終的には「これを通して神様が何を話されているのか」について、真理に近い形で持論をまとめ上げ、語れるようになる、これが「第三段階」です。
数学においてはさすがにこの段階に至っているものは少ないですが(大雑把なら話せるけど、全然精密でない)、政治とか心理学とか、色々なものに興味があります。

そして、現在私の知っていることの大半が「どうやってビジネスに繋げたらいいのか」という感じのものなんですよね。特に漫画知識とか(笑)
というか、私の行動欲求の大半は「純粋な知識欲」なので、ビジネス的なものにはあまり向かないのですよね…。そういう意味では、本当に研究者向きなのだと思います(笑)

しかし、おそらく自分が話せる内容があっても「1時間」は持たないと思うのです。
というのも、私は「対話」するのが好きだからです。あるいは人の対話を聞いているか。要するに相手の反応がなければ、たとえ私が話したいことがあっても話せないということです。

おそらく、ここで一時間語れる場所があるなら、語ることは出来ます。実際、そのような仕事もしていますし。
しかし、普段人と会っていきなり話せ、と言われてもそれは話せないと思います。多分最初に話し出すことは出来ても、相手からの反応がなければ「…話しにくい」となって、口をつぐむと思います。(そして、相手が何を話したいのかを知ることは苦手です…)
逆に、相手が自分の話していることに「あー、それって○○だよね!」とか「なるほどー」とか反応してくれると俄然話が盛り上がります。
(摂理の人は数学の話をしても反応してくれる人は結構いて、それで話が盛り上がります…(笑))

結局、語ることと対話は違うし、人が求めるのは「対話」なのかなと思います。
というわけで、私と対話できる人、どうぞご連絡ください(笑)
私が話せるのは「数学、哲学、心理学、教育、政治、漫画等々」です。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。