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圧倒的な情緒的表現不足

おはようございます、satoです。

今週大学の卒業式がありまして、私も無事に大学を卒業することができました。
春からどんな仕事をするのか…については、ちょっと公にするのが難しいです。ただ、今までと働く場所は変わりますが、やることは同じ「教育系の仕事」です。
どんな場所なのか、どんな出会いがあるのか、いまから楽しみです。

ところで、私は話したいことがたくさんあります。
精神が死んでいる最中の漫画を通しての御働き(前回は”山”編、あとは”月”編と”炎”編がある)とか、最近習った数学の話とか、卒業しての感想とか、たくさん。
しかし、今週の御言葉が「分別」を中心として「深く考えて判断する」のためか、思考に没頭してしまうことが多いです。
そんな中で思ったのが今日の話です。

私は圧倒的に情緒的なやり取りが足りていません。
元々幼少期から「自分の世界に没頭していた」のか、はたまた「テレビとかを見ていた」のか、とにかく親との情緒的なやり取りをした経験が少ないです。
親もあまりこういったやり取りが得意でないようで、あまりそれを気にしたことはありませんでした。
しかし、摂理にいる間ずっと気になっていた「寂しさ」の原因がこの「情緒的やり取りの不足」なのではないか、ということに気づき始めました。

私は摂理に来て本音を話すようになりました。
人前でも割と気にしつつ、言いたいことが言えるようにはしていました。
神様に対するお祈りは、もっと本音だらけです。
ところが、それでも寂しさが取れることはありませんでした。それは「感情、情緒の共有」というものが足りていないから、と考えるのが良さそうです。

しかし。
私はそもそも「情緒的表現」がかなり苦手なようです。
このブログも、基本的に事実を「客観的に」羅列するように書いています。(客観的、というのは内容そのもの、というより「自分の書こうとしているものを俯瞰して書いている」というイメージ)
前にどこかで書いた気もしますが、それゆえいわゆる「エモい」文章がとても好きなのです。私はあれを書きたくても書けません。
「かわいい」ものが好きなのですが、それもここから来るのかもしれません。

このあたりで一番表現ができるのが「物語」のように書くこと。故に私は自分の経緯をそのまま「物語形式」で書くことにしています。
それが私の感情表現だから。それに少し気づけました。
ということで、今週から「エモーショナル」な表現を頑張ってみようと思います。

関係ありませんが、近くのモスバーガーが少し改装されて、コンセント使い放題&ちょっとオシャレになりました。
個人的には大歓迎です。今後の拠点になりそう(笑)
眼の前の人のタイピングを見て、なんかいい感じです。私はタイピング音がとても好きなのですよ。

「かわいい」のが好きな私は、スマホも少々特殊です。
フォントも丸みの帯びた「かわいい」ものを使っていますし、LINEも「かわいい」スタンプ(+数学・発達障害関連・漫画のもの)が多いです。
しかし、実際に使うスタンプは大体10種類くらいなのではないか?と最近気づきました。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代まであと一歩。数学者を志す大学院生で、教育系の仕事もしています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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