自分の可能性を一番縛っているのは、自分自身。

おはようございます、satoです。

人は追い詰められると本性が出てきます。
平素温厚な人も追い詰められると凶暴になったり、平素から人のことを憎んでいる人は極限状態に陥ると人を殺してしまったり…バトルロワイヤルの状況になるとこのような話が出てきますが、何もこんな極端な話をしたいわけではありません。
人は極限状態になると、自分の心の中に溜まっていたものが出てきます。
怒り、諦め、自己中心、自己保身、あるいは感謝、犠牲、愛…

私も結構追い詰められている状況が続いていたのですが、この状態にあって私は「ぼんやり」としていました。
地に足がつかない、と言いますか、何かをやろうとしても集中できず、したい気持ちはあっても行動に移せませんでした。

で、ちょっと用事があって親と話をしたのですが…「甘い」と言われました。
「現実のことを考えるのが苦手」ということを差し引いても、行動するのが遅く、必死さが足りないと言われていました。
その事自体は自分自身薄々感じていたのですが、そこと向き合うことができず若干ショックを受けましたが、この言葉によって目が覚めました。

しかし、その後も何かモヤモヤした状態が続いていました。
なんというか、自分が甘い、必死さが足りないのは知っているのです。正確には必死にならなければならない、ということも。
しかし、それを止める何かがある感じがして、一歩前に踏み出すことができないでいました。

そんな自分を自分自身で励ましました。
ちょっと言葉が荒いですが、自分のしたいことは認め、自分の良さをわかっている。そんな親しみのある感じで。
しかし、何か「自分を否定されている」感覚がしていたのです。

それで、主ならどう話すだろうか、と考えました。
主も、やはり同じように(言葉は荒くないですが)自分のしたいことを認め、自分の良さをわかってくださり、もっと頑張ろう、私がともにするから掴みなさいと話していました。
違うのは、言葉の荒さと「自分を否定していない」そのことくらいです。

それで、もっと深く自分と主ともう一人の自分で話していました。その時に気づいたのは…

自分を「ダメな奴だ、何もできない」と否定しているのは自分自身だ

ということでした。
自分が何か失敗するたびにダメでない!という考えが強かったのですが、その根底にあるのは「自分が何もできない、ダメな奴だ」という否定的な認識でした。
自分の中では消えていたと思ったのですが、思ったより深くこの認識があることに気付かされました。
主に自分はダメな存在ですか?とお聞きすると、

「あなたは尊い存在だ。
そして、あなたがやろうとすれば何でもできる。しかし、あなたが自分にはこれができないだと考えて否定していた

と気づきました。

自分が何もしていない現状を見れなかったのは、自分が「自分にはこれができない、苦手だ」、という認識で自己合理化していたからです。
たとえば、「現実的なことを考えるのが苦手」というのは私の傾向にあるのですが、このことを考えて「私はこれができない」と言って自分がやることを諦めていたのです。

人に頼らなくても、自分の力でもできる。
人のことを気にしなくても、自分はもうすでに耐えられる力がある。

そのことに気づいた時に、私の職探しも一気に進みました。人のことを気にしていて行えなかったのです。

…しかし、ここから選ぶのが大変ですが…(´・ω・`)

自分の可能性を一番縛っているのは、自分自身。
自分には無限の可能性がある、と信じて行っていく。
自分にはできない、という考えを主の力で乗り越える。

それが、摂理に来て私が得た、最も大きな力なのだと、今は思います。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。