こんばんは、satoです。
私は摂理に来てからかなりの時間自己分析をしていました。
これは私が漫画の設定集が好きなことに由来します。漫画の設定集って、結構面白いじゃないですか?色々なウラ話とか、隠れ情報が載っていて…私は、そういう「隠し要素」が好きなのです(笑)
それが勢い余って、大学時代にはwikipediaを見るようになって、好きなマンガやアニメの設定を知るようになりました。途中からは、むしろwikipediaで設定を見て、面白い設定の作品を読んだりしていました…(笑)
それがいつしか癖になり、自分のことを一人の漫画のキャラクターかのように、wikipediaの記事の如くデータを脳内にまとめていました。たとえば、自分のこれまでの出来事とか、能力、特徴…などなど。
こんな感じで、データを分析したり、知ったりすることが好きでした。
摂理に来て、一度大きな壁にぶつかったときに、どうして私がこういう感情を抱くのか、どうしてこう考えるのかについて真剣に考えたことがありました。今にして思えばピントの外れた推理が多かったのですが、こうして自分の過去を振り返るようになって、自分の心の問題が一つ一つ明らかになっていきました。そして、それを神様に告白し、少しずつ解けるようになってきました。
こんな感じで、私は自分の心の内面を分析するのが割と得意です。最も自分の心と向き合っている時はなかなかに調子を崩しがちで、答えが見つからないと本当に苦しいですが…。
今回新しくわかった「好きなこと」も、その分析の結果でした。
以前、私がいろいろな漫画の設定を見て、それを使って新しいキャラクターを作るという脳内空想をしていた、という話を書きました。実は今でも時たま出てしまうのですが…(過去創った作品を思い出してしまうのです)この状態になると、夜もなかなか寝付けず睡眠リズムが崩れたり、普段もちょっとボーっとしがちになるのです。なので、これをどうにかして治めたい、と思って色々模索していました。
どちらか先かは分かりませんが、この脳内空想とwikipediaで設定・世界観を調べるというのはかなり強い相互関係があるでしょう。私が数学などでも色々な情報を仕入れると、この空想に陥りがちなのです(^_^;)
では、どうして私は新しい情報を入れようとするのか?それがちょっと良くわからなかったのですが…。過去を振り返ると、少しずつ原因が見えてきました。
私は小さい頃、何かを作ることがとても好きでした。
たとえば、ブロックを組み合わせて色々作ったり、砂場に水を入れてコーヒーのようにしたり、お風呂の石鹸で泡を立ててお菓子の泡に見立てたり…。いわゆる「見立てごっこ」というのをよくしていたのです。
そして、それはゲームをするようになってからも変わりませんでした。
たとえば、マリオのゲームの自作ステージを絵に描いてみたり、ドラクエのモンスターを考えて、どう配合すればそのモンスターができるかを考えたり(ただし、ドラクエは高校時代モンスターズをやった以外では一度もプレイしたことがありません(^_^;))、テイルズシリーズの裏ボスみたいなのを考えたり…。
そう、実は「自分が新しく作る」空想は、子供の時からずっとやっていたことでした。
ということは…。
私は、何かを作ることが好き?
そういえば、私がパソコンでこのブログを書いている時も、心の中にある色々なものを実際に書くことで「再構築」しているのです。そして、私の心がとても快感を得ています。
この再構築という過程を通して私はゲームの設定なり世界観なりをもっと深く知ることが出来たのです。
これは今の数学研究でも同じかもしれません。私が数学の事象を理解するのは、その定義を用いて何かを「再構築」しているときがとても多いのです。
つまり、私が「脳内空想」をしているときは何かを作りたい、という私の心の現れということです。どうやら私は生まれながらの「クリエイター」なようです。
それなら、何かを作らないといけませんね…。でも、何を作りましょうか?それがまだわかっていません。
でも、こうして自分のしたいことが見えてきたのは本当に感謝なことです。
さて、何を作りましょうか?まずは、御言葉を読み返すことから、しましょうか?(笑)
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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