とある摂理のスポーツマンの話。~摂理に来なかったら、絶対に会わなかっただろう二人~

1月は帰省の時期。北海道にある摂理の教会にも多くの人が帰省や用事、旅行などで来ます。
このスポーツマンもその一人。彼は出身はここではありませんが、北海道で摂理の御言葉を聞き、信仰を守っていました。それも…私と同じ時期に。しかも彼は私と同い年だったのです。
社会人になって、道外に行って以来、久々に北海道に来て感動?の再会を果たしました。
彼はストイックにスポーツに明け暮れるアスリートでした。しかし、その生き方に限界を感じていたある日、摂理の兄弟に出会い、御言葉を聞いて人生の答えを得た、という人です。
その生き方、私とは正反対。私はある意味で「テキトー」に生きていた(何かに没頭することなく、すべてのことを程よくやって生きていた)人間(自称)だったので、彼のような人間は初めて見ました。それは彼にとっても同じこと。
よく摂理でなければ、絶対に会うこともなかっただろうとふたりとも話していました。
彼の生き方は、真面目そのもの…と言いたいのですが。
いや、実際真面目ですよ。だって、毎日会社まで走って出勤してますし、仕事も信仰も熱心に取り組んでいます。どれだけ鄭明析先生の御言葉を実践しているのでしょうか(笑)
そんな彼ですが、実はかなりユニークな人です(笑)
私に会うなり、「satoがインフルエンザにかかってなければ、プロレス技をかけてたのに…」と言い出すのですから。私が彼と一緒にいたときにしばしばかけられていたのですよ。
今日このブログにスポーツマンの話書こうかな、と話をした時に「プロレス技をかけられなかったこと、それだけが無念です」とか言い出しました。どれだけプロレス技かけたいねん(笑)
彼は非常に自分をオープンに表現しますが、それをどう書けばいいのやら…私の奇行行いの一部は彼から影響を受けています(笑)
そんな彼ですが、はじめからこうではなかった、ということをよく一緒にいた私が一番知っています。
彼はもともとストイックに生きる人だったので、たとえば明け方起きれなかったりすると…非常に落胆をしていました。その真面目さ、御子からしたら可愛く映ったんだろうな…と今なら思います。
摂理に来ていても、御言葉でよく出る「しなさい」と「してはいけない」について真面目に考え、真面目に生きていました。ちょっと窮屈に見えるくらいに。
(一方の私は、御言葉に対して「どうしてそうしないといけないんですか!」と神様に説明を求めるタイプでした。本当にごめんなさい。)
でも、神様からの愛を受けて、自分の心を開くようになって、今のように変化していった、素晴らしき漢です。
社会に出た今でも活躍しているこのスポーツマン。
そして、社会にはまだ出てないけど、こうやってネットで色々活躍?している私。
摂理に来なければ出会わなかった二人が出会い、神様のもとで育ち、それぞれの場で活躍している姿。
神様はどれほど嬉しく思うでしょうか。
そして、私は(彼もそうだと信じてる)再会出来たとことを本当に嬉しく思っています。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。