推しとキリストに共通する「愛」について

おはようございます、satoです。
今回の記事は「おたくが語るイエス様への愛」アドベントカレンダー2023 5日目の記事です。
ちなみに主催者のRIOさんから「satoはおたく代表なのでぜひ参加してね笑」と直々にご指名をいただきました笑
さて、イエス様について語るべきか、物語を作って愛を示すか、それともイラスト…?と迷いましたが、今回は私がイエス様をどうして好きなのか?について熱く語ることにしてみます。
実は「イエス様の愛」だと勘違いしていた、というのはここだけの話

前段:なぜ私はこのキャラが好きなのか?〜安心感をベースに〜

このアドベントカレンダーに「オタク」とあるように、私はオタクです。それもかなりディープなやつ。
そのためか、いわゆる「推し」というキャラが色々な作品に存在しています。
その推しがどうして好きなのか?について以前分析したこともありました。興味のある方はこちらを参照ください。

ところで、その中でも私がとても安心できる、好きなタイプのキャラがいるなぁと気付いたので、それを分析してみました。
例えば、このブログにしばしば出てくる五等分の花嫁の中野四葉ですが、彼女を見るとなんとなく「安心感」があるんですよね。五つ子はどれも経緯がありそれぞれ好きな部分があるのですが、その中でも四葉が推しである最大の理由はこの「安心感」にあります。
これは彼女の経緯という面もありますが、実は最初に見たデュエプレのコラボ(当時は原作・アニメを読んでなかった)の段階で何か「安心感」を抱いていたように思います。

他にもウマ娘のマチタンことマチカネタンホイザとか、実在する(?)人(羊?)でいうとホロライブの角巻わためさんとかHIMEHINAさんとか、この辺りは安心できて比較的近くしやすい存在です。

そこで、この辺りについてもう少し深く分析してみたところ、比較的

他者を尊重している傾向にある

ということが分かりました。不正確を承知で言うと自分がない、無条件好きな感じが出ているのです。
四葉は(特に風太郎に対して)無条件の信頼(と愛)を抱いており、それがとても心地良いような…そんな気がします。
また、わためさんはリスナーのわためいとのことを常に大切にしているという印象がありホロライブの方々の中でも特に安心しています。

ちなみに四葉は前後の経緯の関係で大人になった後の方がさらに安心感があってさらに良いんですよね。

本論:なぜイエス様が好きなのか〜無条件の愛〜

ここからが本日の本題である「なぜ私はイエス様が好きなのか」ですが。
その大きな要因が常に皆を愛されていたことです。

過越の祭の前に、イエスは、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時がきたことを知り、世にいる自分の者たちを愛して、彼らを最後まで愛し通された。

口語訳聖書 ヨハネによる福音書13章1節

これはイエス様が十字架に架かる直前、その運命が決まった時のことですが、この中でも「世にいる自分の者たち」、つまりイエス様を信じてついてきた弟子たちを最後まで愛した、と書いてあります。
実際、その通りにイエス様は十字架に架けられた後残ってこの世を生きる弟子たちのために多くのことを教えました。全ては自分がいない世の中でも彼らがその道を歩み続けられるようにするために…。
弟子たちだけでなく、イエス様は常に困っている人を助け、その心を慰め、時には癒しもしました。常に自分の思いより神様の愛をもって人に接してきました。

22:41そしてご自分は、石を投げてとどくほど離れたところへ退き、ひざまずいて、祈って言われた、 22:42「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」。 22:43そのとき、御使が天からあらわれてイエスを力づけた。 22:44イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた。そして、その汗が血のしたたりのように地に落ちた。

口語訳聖書 ルカによる福音書22章41−44節

十字架のことについても「この杯を取り除けてください」と祈るほど苦しまれました。しかし、それはイエス様が十字架に架かることそのもの以上に、自分が十字架の道を行くことで、自分を信じてついてきた弟子たちも同じように十字架の道を行くということに対して苦しんでいたのです。
つまり、「弟子たちが辛い思いをすること」を案じて祈っていたわけです。

23:27大ぜいの民衆と、悲しみ嘆いてやまない女たちの群れとが、イエスに従って行った。 23:28イエスは女たちの方に振りむいて言われた、「エルサレムの娘たちよ、わたしのために泣くな。むしろ、あなたがた自身のため、また自分の子供たちのために泣くがよい。

口語訳聖書 ルカによる福音書23章27−28節

さらに、十字架を負って死刑になる直前、その最中についてきた女たちに「私のために泣くな」と言い、むしろ彼女らの身を案じることを話しているわけです。
一体どれほど彼女らを愛していなければ、このような発言ができるでしょうか…。

私がイエス様に対して抱いている安心感というのはこの愛です。自分がどんなに傷つくとしても、愛して全てをしてあげる、その愛。

推しとキリストの共通点

経緯に差はあれど、推しの四葉もこの気質を持ったキャラです。
彼女の場合も常に困っている人がいたら助け、助けを求められたら必ずそれに答え、多少自分のことを犠牲にしてもとにかく人のために動いています。時にはそれで自分が倒れてしまうことがあっても…。
常に人のため、なんですよね…。

実は私、つい最近鄭明析先生が私たちのことを案じているという話を聞いてとても感動して泣いてしまったのですが、それは

「四葉だったら確かに自分のことを想ってくれる人のことを先に心配するよなぁ…」という強い実感と

「イエス様が同じようになったら、きっとこのようなな想いだろう」という心情が

感じられて、本当に深く実感してしまったからなんですよね。

最後に…〜で、私はどうする?〜

それでは、私はどうするか?という話ですが…。
結論から言うと、そんなイエス様を最後まで信じて、離れることなく生きていこうと考えています。
色々助けるためにあれこれやることも大事ですが、それより何より「イエス様を信じて、最後まで離れずに生きること」こそが最大の喜び、助けになると信じ、イエス様への愛を示す方法なのかなと。

なんやかんや推しはいますが、それでも「最後まで離れずについていきたい」と思うくらいに信頼し頼っているのはイエス様だけです。これは正直そう思います。他の推しはその助けのため。そしてそれが推しへの最大の恩返しだと考えております。

この告白を持って、「イエス様への愛」を示すアドベントカレンダーの記事を締め括ります。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。