「古い所から抜け出してこそ祝福が得られる」の根拠

おはようございます、satoです。
今年伝えられた摂理の御言葉の中でこのようなものがありました。

旧約人たちはそのとき新しい時代の新約が来ても、歴史の主人であるイエス様の御言葉を聞いて従うことをしなくて、分からなかった。彼らは旧約に座って歳月を過ごしさえすれば新しい歴史を迎えるものだと思っていた。足なえの信仰をしていた。
神様も新約歴史を行なうために来られ、地上に救い主イエス様も来た。しかし彼らが不信して分からず、裏切って分からず、見くびって分からず、うわべの信仰をして分からず、時代の盲人たちだから分からなかった。神様が行なうのに分からなかった。この時代もそうだ。

2024年1月21日主日礼拝の御言葉「1.あなたの心を通してお答えになる
2.旧時代の約束は新しい時代に成される」より

私はこの御言葉を聞いてとても衝撃を受けました。
なぜかというと「旧約、つまりユダヤ教の人たち視点では『時間が経てば新しい歴史を迎えるだろう』と考えるのは割と自然なこと」だと感じたのに、実際はそうでなかったからです。
ユダヤ教の人たちにとっての約束とは「自分達を救うために神様が来られる」ことであり、そのことによって自分達が救われることでした。
だから、神様が来ることを信じて、律法を厳格に守りつつ待ち続けたわけです。しかし、実際に来られたのはイエス様であり「律法を成就するために新しい教えを与える」人でした。実際にはその御言葉を聞くことで奴隷であった自分達の立場から抜け出せるのですが、律法が自分達のアイデンティティになるくらいの彼らからしたら信じられないことでした。

一方で、神様の法則としては「新しいところに移った時に祝福を与える」というものがあります。

旧時代に生きている人たちは、約束した新しい時代に出てこなければ、神様が彼らに祝福をお与えになりません。新しい時代は新しい時代に該当する神様の御心と歴史を広げなければならないので、神様は新しい時代に来た人たちにだけ祝福を与え、彼らと行なわなければなりませんでした。
エジプトで奴隷生活をしていたイスラエル民族のように<旧時代>はサタンが無知で縛って握りしめているので、新しい時代の祝福を与えたらサタンにすべて奪われるから祝福をお与えにならない神様の御心を、分かって悟らなければなりません。出てきてはじめて与えます。この時代もそうです。新しい時代に出てきてはじめて与えます。

2024年1月21日主日礼拝の御言葉「1.あなたの心を通してお答えになる
2.旧時代の約束は新しい時代に成される」より

と、このように昔の時代から新しい時代に出てきて初めて祝福が与えられる、ということが伝えられています。
そうであるなら、ユダヤ教の人たちにイエス様を送り新しい御言葉を与えられたのは「昔の教え」から出て祝福を受けるためである、というのは筋が通っています。
しかし、それであるなら神様は彼らに「新しい時代に出てこそ祝福を受ける」ということを教えていないといけないはずです。そうでなければ、彼らが気づかなかったとしても「彼らの責任分担を果たせなかった」とは言い難いです。
直接そのような言葉が出ていなかったとしても、彼らに知る機会はなかったのでしょうか?

実はそうではありません。彼らは聖書の歴史を通してこの事実を知ることができました。
そう、実際の聖書の歴史は古いところから出てくることで祝福を受けたのです
この例をいくつか引用してみたいと思います。
まずは、信仰の先祖と言われるアブラハム。

12:1時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。 12:2わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。

口語訳聖書 創世記12章1−2節

神様はアブラハムを一族が住んでいたハランから出るようにさせ、カナンの地に行くようにさせました。
この言葉を信じたアブラハムは実際に出生地から出て、神様との約束を信じたことでイスラエル民族の先祖、さらには信仰の先祖となりました。

また、イスラエルの名をもらったヤコブもそうです。

28:1イサクはヤコブを呼んで、これを祝福し、命じて言った、「あなたはカナンの娘を妻にめとってはならない。 28:2立ってパダンアラムへ行き、あなたの母の父ベトエルの家に行って、そこであなたの母の兄ラバンの娘を妻にめとりなさい。 28:3全能の神が、あなたを祝福し、多くの子を得させ、かつふえさせて、多くの国民とし、 28:4またアブラハムの祝福をあなたと子孫とに与えて、神がアブラハムに授けられたあなたの寄留の地を継がせてくださるように」。

口語訳聖書 創世記28章1−4節

ヤコブは兄エサウの迫害から逃れるために出生地のカナンから出て、母リベカの兄弟のいる地に行きました。
そこで妻と多くの子、そして多くの財産を得て栄えるようになりました。

御言葉の中に出てきたように、エジプトで奴隷となっていたイスラエル民族はモーセの導きによってエジプトから出るようになりました。そして、そこで神様の御言葉に従った人たちは祝福の地であるカナンに行き、自分達の地を得るようになりました。

この他、元々は羊飼いだったダビデがそこから出て戦場に立ったことで王となる祝福を受け、元々イスラエルの中で育っていたエステルはそこから出て王妃となったことで民族を救うようになり、…とさまざまに「元いた場所から抜け出して大きくなった」人たちが聖書の歴史に書かれています。

このことを考えると、ユダヤ教の人たちが「聖書の歴史を見て、神様の法則を知る」機会は十分にあったと言えるでしょう。
特に信仰の先祖であるアブラハムが「元いた場所から御言葉を聞いて出てきて祝福を受けた」事実を見落としていたのはとても重いです。アブラハムのことを「父」というくらい重んじていたのですから…。

そして、このことはもちろん今いる私たちにも通じます。
昔いた所である程度育ち条件を積むようになったら、新しい所に行ってこそ栄える祝福を受けるのです。
この時の見極めは正直自分には難しいですが、神様はご存知です。その時になったら、惜しむことなく出てきて新しい祝福を受けていきたいところです。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。