幾何学の数学史と世界史との関連性その1

こんばんは、satoです。
今日は歴史を見て気づいたことを書きたいと思います。
簡単に言うと…「世界史、特に人々が持つ世界への認識」と「数学、特に幾何学の発展」に関係がありそうだなという話です。できるだけ、簡単に。

古代の世界観とユークリッド幾何学

幾何学の始まりは古代オリエントにまで遡ります。
ナイル川の氾濫によって荒れた土地の復興のため、自分の農地の面積や距離を測るため…その手段として幾何学が使われました。このときにはピタゴラスの定理が経験則でわかっていたようです。

そして、古代ギリシャにおいて、ピタゴラス、そしてユークリッドが厳密に証明をすることによって幾何学を体系づけました。特にユークリッドはいくつかの公理と5つの公準から多くの(明らかでない)定理を証明し、これを「原論」という本にまとめました。これは長らく「幾何学のバイブル」とされ、現代の数学の研究方法の模範となっていました。

さて、この時代に発展した幾何学はユークリッド幾何学、言い換えると平らな世界での幾何学でした。
この時代は移動手段が徒歩、あるいは動物に乗るなどしかなく、自分の住んでいるところの近くまでしか知ることができませんでした。なので、「自分たちがいる世界は平らだ」と思う人が多かったのではないでしょうか。
実際、この頃の人々は「地球が平らだ」と考えている人が多かったです。
その一方で「地球が丸い」と考えていた人も多くいて、ギリシャではピタゴラス、ヘロドトス、プラトン、アリストテレスなどがいました。
その中で、ヘロドトスはエジプトのネコ王(ヨシヤ王の話に出てくる人と同じ?)の航海の話からこの根拠を得て、アリストテレスは様々な物理的・観察的根拠からこの説を唱えました。

しかし、実際のところ、皆が生活するのは基本「平面(のように感じられる)世界」であったので、この頃の幾何学はやはり「ユークリッド幾何学」、平らな世界での幾何学が発展したのではないかと思います。

中世-世界一周と非ユークリッド幾何学

「地球が丸い」という説は色々なところで伝えられ、知識としては知られてましたが、それを実際に確認できたのは世界一周を成し遂げた時です。
1519年からマゼランが世界一周の航海を試み、22年にこれを成し遂げました。これで「地球が丸い」ということが実証されました。

ところで、数学の方でも色々な変化がありました。
ユークリッド幾何学の公理の一つである「平行線公準」(理論を展開する上での”仮定”)があります。簡単に言うと「ある直線と交わっている2つの直線があって、その内角の和が180度未満なら2直線は必ず交わる」というものですが、これについて「本当にこれは公準なのだろうか?他の仮定から導かれるものではないだろうか?」という問題がありました。
ちなみに、この公準と同値な命題として「三角形の内角の和が180度」があります。こっちの方が分かりやすいですね。
この問題について、様々な視点から議論をしましたが、なかなか解決されませんでした。

これについて、19世紀にガウスが非公開の研究論文で「平行線公準の代わりに”三角形の内角の和が180度より小さい”としても矛盾しない幾何学が存在する」ということを示唆していました。さらに、ガウスは現代の幾何学で言う「曲率」の幾何学も作っていたようです。

これとは独立にロバチェフスキーやボヤイ親子、そしてリーマンの研究によって「三角形の内角の和が180度未満」、「三角形の内角の和が180度より大きい」という仮定の下成り立つ幾何学を構築しました。これらをまとめて非ユークリッド幾何学といいます。
この非ユークリッド幾何学のうち「三角形の和が180度よりも大きい」幾何学のモデル、というのは球面上での幾何学になっているのです。
言い換えると「地球全体の幾何学」になっています。

ところで、この頃世界史としてはどうなっているのか、というとそれぞれの国が行き来して貿易をしたり、植民地支配をしていたりしました。
言い換えると地球規模の移動を頻繁にしていたのでした。

このスケールになると地球の曲率は無視できず「平らな世界の幾何学」ではなく「球面上での幾何学」で考える必要が出てきます。

このように世界観の規模が「地球全体」に広がるにつれて「平らな世界の幾何学」から「曲がった世界の幾何学」に変わっていった、というのはとても興味深いことです。
後半は「多様体」の話とこれからの幾何学の方向性について考えてみます。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。