数学と御言葉を勉強していると…

おはようございます、satoです。

数学と宗教。
この二つには大きな共通点がありますが、それは目に見えないより抽象的なものについて考えているということです。
数学はより論理的、そして形式的に扱うことの出来る内容を、宗教は実際に見えない世界がどのようになっているのか、人がどうして生きているのか、等「目的」や「意味」について言及しています。
宗教にも様々なものがありますが、私は摂理に来て聖書を学び、神様の真理を勉強しています。

摂理の御言葉の特徴として、しっかりと現実に結びついているということがあります。
これは「自分が実際に生きている経験」と合致していてしっかりと説明されているだけでなく、実際に実践してみると確かにその通りになる、という意味でも現実的です。
多くの宗教がありますが、その中でも摂理の御言葉は詳細に、精密に教えているのでとても具体的で理解ができます。

数学でもそうですが、抽象的な話を聞いているとなかなか理解するのが簡単ではありません。
数学の論文も何回か読んでやっとのことで主張が分かる、ということが普通です。その際に多くの疑問が出てきます。
摂理の御言葉はそういう疑問に対して一つ一つ答えをくださるし、なければ祈ることで神様が確実に解いてくださいます。
そういうわけで、摂理で御言葉を聞くことはとても楽しいな、と個人的には思います。

ところで、摂理で御言葉を聞いていると、結構説明や要約が分かりやすくなるということがあります。
今日、教会の学生の研究発表の手伝いとして、発表を聞いていました。その人は物理系の研究をしているのですが、内容は私があまり触れたことのないものでした。
ところが、話を聞いていると内容が具体的でとても理解しやすかったです。それは

・研究の背景

・具体的にどのような仮定で実験・検証したのか

・今後の課題

が具体的ではっきりとしていたからです。お陰で私も必要な質問ができました。

御言葉を聞く上で肝心なのが「神様が何を伝えたいのか」を掴むことです。言い換えると「核心」を掴むことです。
この核心を聞く中で掴むことができれば、一週間生活の中で実践することができるからとても大事です。
よって、摂理の御言葉を聞いて「核心を掴む」力を身につけた人は研究や仕事でも核心を掴むのが早くて、うまく説明できるのです。

ところで、私個人としては、数学や御言葉に長いこと触れているので、他の学問がそれに比べてとても聞きやすいなぁと感じることが多いです。
それは、他の学問が「分かりやすい具体例」で説明できるからです。
数学だと具体例が具体的でない、ということは良くあります。(説明の能力不足でなく、それくらい抽象的なものでしか説明できない、という意味です)
なので、聞いてて楽しかったですし、いい話を聞けたなと思っています(`・ω・´)

私も今週研究の発表をするので、核心を捉えて準備をうまくしていきたいなと思います。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。