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【摂理人が書く物語】「脳の愛」で笑え!天の愛たちよ。 その4

その3
F「…アハハハ!面白い~!」
真剣に書いた習字をFくんに笑われたMさん。
M「(…!?確かに俺はそこまで字がうまく書けないが…こっちは真剣に書いているんだぞ!なのに、そこまで笑うことないだろう!
)」
ムッとしています。
M「…お…」
その心のままに、口が出そうになりますが…瞬間、ある御言葉が思い浮かびました。
<言葉>は「剣」であり、「鋭い針」のようで、幼い人や成長の途中の人たちには大きな傷になる。
それは、以前「生活の中の英雄になりなさい。生活の中の引き上げだ。」の中で出ていた一言。
M「(…そうだ。Fはとても感受性が高いし、Jはまだ成長途中だ。こんなところで怒ったら、二人の心に傷がつく。それに…)」
その言葉を思い出して、自分の心を治め始めるMさん。
M「(俺から二人に出し物に入れてほしい、と頼んだんじゃないか。二人は突然の俺の頼みを快く引き受けてくれた。それなのに…こんなことで怒ったら台無しだ。)」
そう、Mさんは今まで「仕事が忙しくて…」という考えを捨てて、「自分はよくやっている」という考えを捨てて、芸術祭に参加しようとしたのです。そのことを考え、自分の血気を治めました。
M「(しかし…やはり釈然としない。正直笑われるのは腹が立つ…!
どうしたら、いいんだ?)」
と、耐えるMさんに。
「木を愛すること、石を愛すること、水を愛すること、作品を愛すること、環境を愛すること、御言葉を愛すること、主の仕事を愛すること」など、自分が好きなものを愛しながら、それを通して喜びを感じて生きるなら、それだけ興奮し、喜んで生きるようになります。
再び、御言葉が答えます。
M「(…そうだ。
この状況を、愛してみよう。自分が笑われていることも受け入れて。
そうだ。Fはバカにしているわけではないみたいだ。本当に、面白いから笑っているんだろう…。)」
その御言葉にMさんが答えて、今の状況を肯定的に、愛してみました。
そして…
———————————————-
M「…おい。笑うなよ!」
J「…あれ?」
てっきりMさんが怒りながら「おい!笑うな!」と言うかと思っていたJくんでしたが、Mさんは少し笑いながらそう言いました。そのことに驚くJくん。
F「…ごめんなさ~い!でも、あんまりにも面白くて…!」
M「…」
Fくんの言葉を聞いて、Mさんが自分の習字を見て…
M「ブッ!確かに…これは面白いな!」
Mさんも思わず吹き出していました。
F「そうですよね~!」
J「で、でも…Mさんは真剣に書いたんだから…。」
M「だが、この字はないだろう!見ろ、こんなにふにゃふにゃだぞ!」
J「…ま、まぁ…プッ」
Jくんがフォローしようとするのですが、Mさんが笑いながら自分の字を見せるものだから…彼も思わず吹き出してしまいました。
三人の笑い声が夜の公園に響き渡ります。
M「…そうだ!」
J「?」
M「せっかく三人が自分の苦手なことを書いたんだ。
それなら、最初からこの紙は用意してこれを見せて破ることをメインにしたらいい。」
J「…でも、そしたら時間が短くなっちゃいますよ。」
M「…こういう風にしたらいい。
二人がどこかの寺の師範。俺がそこの弟子だ。で、「苦手なものを破る」対決をして…。」
F「あ~、ちょっとした演劇風にするんですね!!」
J「確かに、それなら間延びもしませんし、いいですね。」
F「でも~…それだとちょっと面白みに欠けるような…。
Mさんって、好きなものありますか~!」
M「俺か?俺は…」
そういって二人に自分の好きなものを話すMさん。
J「…えっ!?本当ですか!?」
F「意外です~!!まさかMさんが…」
M「いいだろ!別に御言葉でするなと言われていることではないし…」
J「いや…それより…イメージと違いすぎると言いますか。」
F「分かりました~!Mさんは最初に自分の苦手なものを破りますけど、もう一つ、それを破ろうとするんです。」
M「…なっ!?お前、そんなこと…」
F「そ~、破れないんです。それで…Mさんが負けを認める。」
J「…プッ!」
光景をイメージして、吹き出すJくん。
M「…いろいろ意外性があるし、その方が面白くなりそうだな。
それならいっそ俺の字を…」
J「いやいや、それはやりすぎなのでは…」
M「大丈夫だ、三人の雰囲気が良ければ、皆も悪くは感じない。」
F「なんだか…楽しくなってきましたね~!」
M「そうだな!」
三人の話し合いは絶えず笑いの声が上がりながら、熱心に進んでいきます。
Jくん、Fくんとは一回りも年齢の差があるMさん。
しかし、この時は二人の年齢に若返ったかのように、皆と近くなっていました。
M「(なんだか、楽しいな。まるで、鄭明析先生が近くに来られている時のようだ。
あんなにつまらないと思っていた日常だったが…そうか。)」
話し合いながら、Mさんは。
M「(こんなにも近くに、喜びがあったんだな。)」
脳の愛を通して感じられる「生活の喜び」を再び思い出しました。
M「(俺の考え一つで…「脳の愛」をすることで、こんなにも変わるんだな。)」
かつて、Mさんは自分の考えで人に接し、皆をもっとよくしてあげようと強く注意していました。
しかし、そのことによってJくんを始め多くの人が心を傷つけていました。
Mさんが強く話をした根本の理由は…「自分の生活で愛を感じられなかったから」。
どんなに御言葉が正しかったとしても、そこに愛がなければ人を生かすことが出来ません。むしろ、その言葉は人を傷つけて殺してしまいます。
Mさんは今、愛を感じています。
別に異性を愛するとか、好きなことをしているなど…特別なことをしているわけではありません。
人間は喜びと興奮をすべて「脳」で感じます。だから神様は「脳神経」に刺激を与えて、愛を感じて喜んで生きるようになさいます。愛の本体は「脳」です。
Mさんは自分から「この状況を愛そう、神様に自ら栄光を捧げよう」として、出し物の話し合いに参加しています。自分がこの状況を愛するから、脳に喜びと興奮が感じられるのです。
よく人々は「恋人がいて、付き合わないでどうやって愛の喜びを感じられるんだ。男女の愛なしにどうやって人生何の楽しみで生きるのか?」と言いますが…「肉的な愛の肢体」が根本ではありません。
愛の核心、愛の本質は「脳の愛」だ。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代まであと一歩。数学者を志す大学院生で、教育系の仕事もしています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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