【摂理人が書く物語】旅に出たい…そんなあなたに。

ある日、教会で。
B「…はぁ。」
C「どうしたの、B?ため息ついて。」
B「…旅に出たい。」
C「はぁ!?」
B「最近毎日祈って眠って勉強してご飯食べて勉強して疲れて帰って眠って祈って…」
C「ちょい待ち。「眠って」が一個多い気が…」
B「明け方起きれるのはいいんだけど、まだつらくて…。ともかく、同じことの繰り返し。ホント飽き飽きしちゃう…。」
C「…よし!賛美するか!」
B「…またですか。」
C「前に「明け方に祈ったら主に会った!」っていってたあの感動はどうしたの!?」
B「…うん、確かにあのときは感動したんだけど、日常に戻るとだんだん薄れてしまって…」
C「…B。それはどうしてかわかる?」
B「…どうしてですか?」
C「個人でいるときによくできてないから。
人は個人でいるときが80%。明け方は一対一の時間だけど、それでも24時間のうちのたった2時間くらい。それってあまりに少ないじゃない?普段一人で生活してるときにも主と会ってこそ毎日が楽しいの!」
B「…はぁ。」
Bはよくわからない感じで、しかし何か気づいたようで。
B「…だから。
Cさんはそんなにパワフルなんですね。」
C「「元気一杯」って言ってよ!(笑)」
B「うーん。でも、毎日主と会ったら飽きてしまうかも…。だって、祈って賛美して聖書読んで…私も時々はするんですけど、しばらくすると飽きちゃって。だから、旅にでも出て、新しい刺激を起こしたいな…って思うんです。」
そうBが言った瞬間、勢いよく立ち上がるC。
C「環境が問題でない!考えが問題だ!
B「!?どうしたんですか、突然大声出して…」
C「これは鄭明析先生がいつもおっしゃる言葉よ。
確かに日常生活は同じことの繰り返し。人はそれに飽きて新しい刺激を求めて色々なことをする。でもね。
同じことをするにしても、新しい心で、新しく考えて、新しいことを見つけようとして、新たに御子と出会う。
そんな考えで生活したら、毎日が楽しいの。だって、御子は生きていらっしゃるから。いつも新しい発見の連続よ。」
B「…あぁ、なるほど。
確かに私、一回会ったことで満足して、同じ祈りばかりしてたな…」
C「心はいつでも主に開くの。そうすれば、毎日違った感動が来る。それが…「御子との対話」。」
B「…楽しそうですね。確かに。
私もチャレンジしてみよう。」
流石は摂理を長く走るお姉さん。
飽きっぽいBさんをその気にさせました。
B「(今何か言われたような…?)
でも、やっぱり旅もしてみたいですね。」
C「…まぁ、リフレッシュしたいときもあるでしょう。それなら。」
と言って、手にあるスマホをいじるC。
C「ほら。」
B「…?そのサイトは?」
C「「摂理観光!ぶらり途中下車の旅!」
って言ってね。日本の地方にある摂理の教会の人が書いているブログなの。ほら、ローカルネタや地方の写真もたくさんある。これを見ながら魂体で旅行しなさい。」
B「…へぇ。こんなサイトが。」
C「みんな摂理人だから、御言葉に基づいて書いてあるから、霊的にも恵み充満よ!」
B「どうしてCさん、こんなの知ってるんですか?」
C「私の使命の関係でね。」
和気あいあいと過ごす二人。Bさんもどこか楽しそうです。これで明日からも信仰生活を楽しく過ごせそうですね。今は…時間がありませんから。
皆さんも日常生活に飽きて旅をしたい、と思ったら、是非お祈りして「「摂理観光!ぶらり途中下車の旅!」」読んでみてくださいね!


B「…あれ?」
C「どうしたの?」
B「このサイト…北海道は書かれていませんね。
北海道も地方だと思ったのですが。もしかして…摂理の教会ないんですか?」
C「いや、あるよ。」
B「じゃあ…どうしてここに書いてないんですか?」
C「彼はオタクネタを交えながら、様々なニュースとかをネタにしていろいろ記事を書いているからね。個性が強すぎるんじゃない?
まぁ…もしかしたら書きたかったけどそれを話すタイミングがなかったんでないかな?」
B「…やけに詳しいですね。」
C「摂理は個性が強い人が多いからね!」
B「(人の話聞いてない…?
でも…なんか、楽しそう。)」

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。