鄭明析先生の笑顔が美しい理由

おはようございます、satoです。

摂理に来てから長い事経ちますが、信仰を守るために、あるいは自分の問題と向き合う中で様々な困難に遭いました。
正直苦しかったことも多かったですし、本当に死にたくなるくらいの苦痛もありました。
でも、それを乗り越えるたびに、自分自身の器が広くなっていくのを感じます。以前より寛容になったし、自分のことも周りのことも受け入れられる幅が広くなりました。柔軟になっているし、できることも増えました。
何より以前より表情が良くなっている、そんな感じがします。

摂理に来てからいろいろな人が持っている課題、心の傷、問題を知る機会が多くありました。また、それらを一つ一つ乗り越えたのだ、ということを知るようになりました。
それを通して、感じたのは

人間誰しもが、乗り越える問題がある。そして、問題を乗り越えるたびに強く、美しくなる。

ということです。

実際、その人達を見てきた時に、「強く、美しい」という感覚がします。
私は人に会うと何かしらの「印象」を受けるのですが、問題を乗り越えた人の印象って、強く、柔らかく、そして美しいのです。強い、と言っても「力でねじ伏せる強さ」ではなく「すべてを受け入れる強さ」という感じです。

その最たるものが摂理の鄭明析先生です。

先生の笑顔がとても素敵だ、見ていて力を受ける、私も笑ってしまう…そういう声をたくさん聞きます。かくいう私も先生の笑顔を見るととても楽しくなります。
でも、先生はいつも笑っていられるような環境にいるわけではありませんでした。むしろ、困難、迫害、貧困、自己否定感…様々な問題を誰よりも多く抱えていました。

ですが、先生はひたすら神様により頼み、神様を愛することでその問題を乗り越えました。
神様が願うところまで、最後まで行なうことで乗り越えました。

だから、心から笑えるのです。子供のように。
でも、子供のように「何も知らないから」心から笑えるのではありません。むしろ、先生は世の中の負の面を誰よりも直面してきました。その中にいて笑えるのは…すべてを乗り越えてきたからです。すべてを乗り越えてきたから、「どんな問題が来ても大丈夫」。だから、あんなに素敵に笑えるのです。
その美しさは、肉ではなく「霊」の美しさ。自分を完全に作った人の放つ、本当の美しさなのです。

私の心の問題もおそらくより根本的なところ、今まで自分が向きあいたくないところに辿り着いた気がします。あくまで気がするだけですけどね。
でも、この問題も乗り越えられる、という確信があります。それは今まで、多くの内面と外面の問題を神様と主と共に乗り越えてきたからです。
そうして、私もさらに「すべてを包み込める」強さを得て、もっと良い姿になりたいと思います。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。