おはようございます、satoです。
神様を信じる上で大切なこと、というのは何でしょうか?
これには色々な答えがありますが、今回私が思うのは「従順」です。
どんなに自分が神様を信じていたとしても、どんなに神様を愛していたとしても、それが「神様の心」と違うなら神様にとっては苦しいだけなのです。
ただ神様を信じればいい、愛すればいい、というものではありません。
サウルはサムエルに言った、「わたしは主の声に聞き従い、主がつかわされた使命を帯びて行き、アマレクの王アガグを連れてきて、アマレクびとを滅ぼし尽しました。しかし民は滅ぼし尽すべきもののうち最も良いものを、ギルガルで、あなたの神、主にささげるため、ぶんどり物のうちから羊と牛を取りました」。サムエルは言った、「主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、
口語訳聖書 サムエル記上15章20-24節
燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。
見よ、従うことは犠牲にまさり、
聞くことは雄羊の脂肪にまさる。
そむくことは占いの罪に等しく、
強情は偶像礼拝の罪に等しいからである。
あなたが主のことばを捨てたので、
主もまたあなたを捨てて、王の位から退けられた」。
サウル王は元々神様によって選ばれた王様です。
ある日、サウルは「アマレクを滅ぼせ」という言葉を受けますが、サウルは自分のために羊や牛などの戦利品を自分のものとして残して行きました。
それを見て、神様のしもべである預言者サムエルは「燔祭や犠牲より、御言葉に従順することを神様が一番喜ばれる」と話したのです。
サウルは「神様のために捧げ物として」といいますが、その心のうちにある自己中心的な思考を神様はご覧になったのでしょう。
神様が最も注目されるのは心の中心です。
彼らがきた時、サムエルはエリアブを見て、「自分の前にいるこの人こそ、主が油をそそがれる人だ」と思った。しかし主はサムエルに言われた、「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」。
口語訳聖書 サムエル記上16章6-7節
だから、サウルの「神様の御言葉より自分の考えを中心にする」思考を見て、神様はサウルを王の座から退けました。
そもそも、神様が王を立てたのは「その人の体を通して、人々を導く」ためです。
ユダヤ教の人も神様を信じました。それはそれは熱心に。
しかし、ただ信じるだけで、実際には「自分の利欲」を満たすために様々なことをしていたのです。
それを見抜いたイエス様は
偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは白く塗った墓に似ている。外側は美しく見えるが、内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱいである。 このようにあなたがたも、外側は人に正しく見えるが、内側は偽善と不法とでいっぱいである。
口語訳聖書 マタイによる福音書23章27-28節
と彼らの本質を話されたのでした。
摂理の御言葉の中で神様は「自由意志を私にゆだねなさい」と話されます。
神様の御言葉に聞き従う人、それもただ言われたからするという「服従」でなく喜んで自ら聞き従う「従順」をする姿。それを神様は願われています。
しかしそれを見て、神様を信じない人は「非現実なことを信じる盲目的な人」とか「マインドコントロールを受けて自分の意志で判断できなくなっている」とか「主体性のない人」とか言うかもしれません。
あるいは、「自分自身」がそう見ているのかもしれません。
今この時、自分は神様の御言葉に「従順」できているのだろうか。
できないなら、何がそれを止めているのか。
続けていたことが「本当に神様の願われている」ことなのだろうか。
今一度立ち止まって、それを点検してみます。
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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