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アダムと堕落~目的を失うことの恐ろしさ~

アダムと堕落~目的を失うことの恐ろしさ~

おはようございます、satoです。

今週から聖書通読強化週間ということで、色々なところで聖書を読んでいます。
現在、創世記を読み終えたところですが、本当に理解が深まりました。
この歴史を経て今の私がある、と思うと本当に神様がどれだけ苦心したのか、そして当時の信仰を持った人たちがどれだけ神様を求めたのかを考えざるを得ません。

ここ最近、自分の心がずっと苦しかったのです。それが原因か分かりませんが、胸の奥が詰まる感じが続いていました。
火曜にはそれがあまりにひどくて塾のバイトを早退(正確には報告書まで書いて、教室長に報告した際に「体調が悪そうだから今日はなし」と言われた)しました。

昨日、ふとお昼に近くの公園で走っているときに、ずっと心が苦しい原因がなんだろう、と考えて、「自分が今現在の目的を見失っている」ということに気づきました。
そのことが分かって、付随して今週犯した間違いを悔い改めたことで、心が少しスッキリしました。

目的がないと、考えがボーッとして、生きる気力を失ってしまいます。
そのことを考えながら、今の日本、特に若者は「何のために生きるのか」、目的を見失っていることが根本の問題なのだと痛切に感じました。

更に人に言われた、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、
地はあなたのためにのろわれ、
あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。
地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、
あなたは野の草を食べるであろう。
あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、
あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る」-創世記3章17-19節

これはアダムが「善悪を知る木の実」を取って食べて堕落した時、神様に最後の宣告をされた瞬間です。
一般的には、この神様の言葉によって「死なない人間が死ぬようになった」と言われています。
しかし、私には別の意味を感じ取りました。

アダムは元々神様を愛して肉では一生、霊では永遠な天国を成すという目的がありました。
これは、人間の「創造目的」でもあります。そのために、アダムは御言葉を聞いて神様を愛して生き、時になればエバと結婚して家庭を作る…という御心がありました。
ところが、アダムが御言葉を守れなかったことによって、アダムは「神様を愛する」という目的を失ってしまいました。
「あなたは、ちりだから、ちりに帰る」というのは…その人生が肉で終わり何も残らない、という意味です。

昔はあまり考えていませんでしたが、「目的なく生きる」ということがどれほど恐ろしいことか、今なら切実に感じられます。

目的がなければ、自分がすべきことが見えません。
自分がすべきことが見えなければ、やりたい気持ちが出ません。あるいは自分が好きなことばかりをします。
しかし、それでも前進することなく、変化のない日々。
すべきことがなければ、何もしなければ、時間というものはあまりにも残酷に、長く続きます。

<急いで走る人>に、時間はもっと速く過ぎていく。

<やることがなく遊ぶ人>に、時間は退屈するほど過ぎて行かない。

<目標を目指して走る人>に、時間はあまりにも速く過ぎていく。

<急いで走らない人>は時間が速く過ぎていくことを知らない。-2017年6月21日鄭明析先生の明け方の箴言より

その苦しさを、私は摂理に来てから感じるようになりました。
特に、私は抽象的なことは理解できても、それを現実に当てはめることが非常に苦手で、目的を見失って生きている方がとても多いです。
だから、この苦しさをとても理解できるのです。

感謝することには、摂理の御言葉によって根本的な人間の生きる目的を与えられたこと、そして今現在自分がすべきことが何かははっきりしていることでしょうか。
目的がある、自分にはすべきことがある。
これだけで人は生きられるのです。

私自身も含め、多くの若者が「生きる目的」を得られることを本当に切に願います。
それが、すべての人が生きる御働きの、最初の奇跡ですから。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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