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聖書、聖殿、そもそも「聖」とは何だ?

聖書、聖殿、そもそも「聖」とは何だ?

おはようございます、satoです。

最近頑張っている聖書通読。現在民数記に入りました。
レビ記や民数記、私は案外好きなんですよね。読んでて色々悟れますし。
…初めは「なんじゃこの法律、字だらけ…」と正直内容が理解できませんでした。唯一感じたのは「燔祭の羊美味しそう…」でした(笑)

ごめんなさい、お肉が好きなもので…(´・ω・`)

それはそうと、

主はモーセに言われた、「イスラエルの人々の全会衆に言いなさい、『あなたがたの神、主なるわたしは、聖であるから、あなたがたも聖でなければならない。-レビ記19章1-2節

このような御言葉があります。ここで気になるのは聖であるという言葉です。
聖書、聖殿、聖霊、聖域…と色々なところで「聖」という言葉が使われていますが、そもそも「聖」ってどういう意味なんでしょうか?

調べてみると特別扱いをされていることとあります。
確かに、こんな聖句があります。

ゆえにあなたがたは、みずからを聖別し、聖なる者とならなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。あなたがたはわたしの定めを守って、これを行わなければならない。わたしはあなたがたを聖別する主である。-レビ記20章7-8節

聖別、というのは特別な使命を与えることです。たとえば、アロンは他の人にはできない「捧げる羊を屠り、燔祭を捧げる」使命を持っています。このためにアロンは油を注がれ、聖別されました。

このように自分にしかできないことを使命として与えられる、というのはとても貴重なことであり、同時にとても清くなければできないことです。
実際、アロンや祭司を務めるレビ人は一般のイスラエル民族とは違った法があります。レビ記にはこのようなことが細かく書かれています。

聖とは「神様の前で絶対的」であることだと聞いたことがあります。
実際、神様は「言われたとおりに必ず行う」という意味で絶対です。このように、本来私達も「神様の御言葉」は絶対的なものなのです。
御言葉通りに出来なかった人は殺されることもあったのが旧約時代です。今はそのようなことにはならないですが、それくらい神様の御言葉が絶対的なものなんだ、というのは改めて読んで感じました。
気が引き締まります。

余談ですが、数学においても「絶対」という言葉が出てきます。
分かりやすいのは「絶対値」ですが、これは向きによらない値という意味なのかな、と私は思っています。
あと、絶対遠アーベル幾何学もありますね。

何があっても、絶対に私を愛するというならば、それを悟るならば、これほど尊く、清い愛はないですよね。
このような愛は誰しもが求めているものだと思います。
このような愛を成せる神様だから、神様は聖なる方、なんですよね。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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