ガリラヤ湖研究記録1:環境と歴史

おはようございます、satoです。

ここ最近、私はガリラヤ湖の情報に興味を持っています。
それはある構想していた企画のためのものなのですが、一ヶ月くらい何の情報もなくて困っていました。

ところが、今週『いる所、ある所で捜しなさい』と宣布されてから、次々と私が欲しかった情報が得られました。
せっかくなので、今回はこれについてまとめていきたいと思います。

ガリラヤ湖とは-聖書の表記

別称は『ティベリアス湖』とのことです。また、英語では『See of Galilee 』と呼ばれるなど”海”と呼ばれますが、淡水湖とのことです。

周囲53キロメートル、南北に21キロメートル、東西に13キロメートルの大きさであり、166平方キロメートルの面積を持つ。最大深度は43m。海抜マイナス213mで、湖としては死海につぐ海抜の低さを誇る[1]。ローマ帝国統治時代に用いられた呼び名に由来する「ティベリアス湖」とも呼ばれる。イエス・キリストゆかりの場所としても有名。-Wikipedia『ガリラヤ湖』より抜粋

ここにもあるように、イエス様の活動の舞台となった場所でもあります。

4:18さて、イエスがガリラヤの海べを歩いておられると、ふたりの兄弟、すなわち、ペテロと呼ばれたシモンとその兄弟アンデレとが、海に網を打っているのをごらんになった。彼らは漁師であった。 4:19イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。 4:20すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った。 -マタイによる福音書4章18-20節

イエス様がペテロとアンデレを伝道したのはこのガリラヤ湖の湖畔でした。

17:24彼らがカペナウムにきたとき、宮の納入金を集める人たちがペテロのところにきて言った、「あなたがたの先生は宮の納入金を納めないのか」。 17:25ペテロは「納めておられます」と言った。そして彼が家にはいると、イエスから先に話しかけて言われた、「シモン、あなたはどう思うか。この世の王たちは税や貢をだれから取るのか。自分の子からか、それとも、ほかの人たちからか」。 17:26ペテロが「ほかの人たちからです」と答えると、イエスは言われた、「それでは、子は納めなくてもよいわけである。 17:27しかし、彼らをつまずかせないために、海に行って、つり針をたれなさい。そして最初につれた魚をとって、その口をあけると、銀貨一枚が見つかるであろう。それをとり出して、わたしとあなたのために納めなさい」。-マタイによる福音書17章24-27節

BS『ペテロと魚』にてイエス様が”海に行って、釣り針をたれなさい”と言われたのは、現実にはこのガリラヤ湖のことと考えられます。もし本当の海に行こうとしたら、一日どころではありませんから…。
(実際には”海”とは人が集まるところの比喩として使われています。詳しくはBS『ペテロと魚』参考)

6:1そののち、イエスはガリラヤの海、すなわち、テベリヤ湖の向こう岸へ渡られた。 6:2すると、大ぜいの群衆がイエスについてきた。病人たちになさっていたしるしを見たからである。-ヨハネによる福音書6章1-2節

ここにはガリラヤの海がテベリヤ(ティベリアス)湖のことと書かれています。

8:23それから、イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。 8:24すると突然、海上に激しい暴風が起って、舟は波にのまれそうになった。ところが、イエスは眠っておられた。 8:25そこで弟子たちはみそばに寄ってきてイエスを起し、「主よ、お助けください、わたしたちは死にそうです」と言った。 8:26するとイエスは彼らに言われた、「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちよ」。それから起きあがって、風と海とをおしかりになると、大なぎになった。 8:27彼らは驚いて言った、「このかたはどういう人なのだろう。風も海も従わせるとは」。-マタイによる福音書8章23-27節

14:23そして群衆を解散させてから、祈るためひそかに山へ登られた。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。 14:24ところが舟は、もうすでに陸から数丁も離れており、逆風が吹いていたために、波に悩まされていた。 14:25イエスは夜明けの四時ごろ、海の上を歩いて彼らの方へ行かれた。 14:26弟子たちは、イエスが海の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと言っておじ惑い、恐怖のあまり叫び声をあげた。-マタイによる福音書14章23-26節

『風と波を治めた』奇跡や『海の上を歩いた』奇跡を起こしたのもこの場所です。

21:1そののち、イエスはテベリヤの海べで、ご自身をまた弟子たちにあらわされた。そのあらわされた次第は、こうである。 21:2シモン・ペテロが、デドモと呼ばれているトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子らや、ほかのふたりの弟子たちと一緒にいた時のことである。-ヨハネによる福音書21章1-2節

イエス様が復活されたあと、ペテロの前に再び現れたのもこのガリラヤ湖の海辺でした。

と、このように、ガリラヤ湖はイエス様が様々な奇跡を起こした場所であり、経緯の多い場所です。

ガリラヤ湖の環境

一番初めに引用したガリラヤ湖の記事にもあるように、周囲53km、面積は166km²という広大な湖です。
また、ガリラヤ湖は山の谷底にあるため、主に高地である東西から激しい風が吹き付けることも多いそうで、先の聖句の中で『嵐が生じた』と書いてあるように、しばしば荒れることもあるそうです。
この山はイエス様がよくお祈りをしに行った場所でもあります。

また、この広さに反して最大深度43mと浅い方で、容積は4km³(Google検索による)とそこまで水の量は多くないです。
最大深度が43mということは、そこまで深くない、それこそ風が吹けば『海の上を歩く』ように見える場所が存在していた可能性は大いにありそうです。

淡水湖ということで、周囲の町々の貴重な用水資源になっています。飲水等の生活用水や工場等の産業用水として使われます。
また、ここには多くの魚が生息しており、これらは貴重な食料となるだけではなく、生活の基盤となっています。
主に釣れる魚は

Local fishermen talk of three[clarification needed] types of fish: “مشط musht” (tilapia), sardine (herring-like), “بني biny” (carp-like), and catfish.[50] The tilapia species include the Galilean tilapia (Sarotherodon galilaeus), the blue tilapia (Oreochromis aureus), and the redbelly tilapia (Tilapia zillii).[50] Fish caught commercially include Tristramella simonis and the Galilean tilapia, locally called “St. Peter’s fish”.[6] In 2005, 300 short tons (270 t) of tilapia were caught by local fishermen. This dropped to 8 short tons (7.3 t) in 2009 due to overfishing.-Wikipedia『See of Galilee』より

ティラピアと呼ばれるタイの仲間や、”biny”と呼ばれる鯉の仲間、サーディンと呼ばれるニシンの仲間、ナマズがいます。
種類は現在18種のようです。また現在は絶滅していますが、ティラピアの固有種も存在していました。
このティラピアの中に『セントピーターフィッシュ』と呼ばれる魚がいまして、これは卵を口の中に生んで孵化させているのだとか。時々石を咥えて卵や稚魚が出ないようにする習慣があり、そこから『この魚がペテロが釣った銀貨を咥えた魚では?』ということでこの名前がつけられました。

一年で取れる量は2005年時点でなんと270トン!これは『ティラピア』のみの記録なので、実際にはもっと取られていたと思われます。
流石にこれはかなり乱獲していたようで、2009年には7.3トンにまで捕獲量が下がってしまったとのことです。
ある歴史家の記述によると1世紀当時は常時230艘もの漁船が動いていたそうで、それくらい漁業は盛んでした。

21:10イエスは彼らに言われた、「今とった魚を少し持ってきなさい」。 21:11シモン・ペテロが行って、網を陸へ引き上げると、百五十三びきの大きな魚でいっぱいになっていた。そんなに多かったが、網はさけないでいた。-マタイによる福音書21章10-11節

この聖句をそのまま参考にすると、大漁のときに153匹なので、一回の漁で大体100匹前後は取れていたのかなと推測します。

ガリラヤ湖の歴史と立場

ガリラヤ湖周辺は古代以来、交通の要衝であった。湖がエジプトとヨーロッパを結んでいたマリス街道と呼ばれる道筋に位置していたため、その周辺にはギリシア人やハスモン朝の人々、あるいはローマ人たちが数々の都市を築き、栄華を誇った。それらの都市の中で有名なものにガダラヒッポスティベリアなどがあった。-Wikipedia『ガリラヤ湖』より

ガリラヤ湖の周囲には様々な都市があり、交通の面でも重要なところでした。
ガリラヤ湖は先に書いた通り豊富な水産資源があるので、周辺が栄えていったようです。
そのため、おそらく船でガリラヤ湖を通って各都市を行き来していたのかなと思います。

その歴史は詳しく書かれていませんが、おそらくイエス様が来られる前までは大きな戦争はなかったのではないかと思われます。
マカバイ戦争はありましたが、その舞台については不明ではあるものの、主にエルサレム付近での戦闘であったのではないかと思われます。この辺りは未把握ですが、ガリラヤ湖は生活・商業両方の基盤となるためあまり大きな攻撃ができなかったのではないかと推測します。

ちなみに、上のうちティベリアはテベリヤとも書かれている他、ガダラは次の聖句でも出ています。『豚に悪霊が入っていった』聖句ですね。

8:28それから、向こう岸、ガダラ人の地に着かれると、悪霊につかれたふたりの者が、墓場から出てきてイエスに出会った。彼らは手に負えない乱暴者で、だれもその辺の道を通ることができないほどであった。 …8:32そこで、イエスが「行け」と言われると、彼らは出て行って、豚の中へはいり込んだ。すると、その群れ全体が、がけから海へなだれを打って駆け下り、水の中で死んでしまった。… 8:34すると、町中の者がイエスに会いに出てきた。そして、イエスに会うと、この地方から去ってくださるようにと頼んだ。-マタイによる福音書8章28-34節抜粋

 

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。