おはようございます、satoです。
唐突ですが、ここ最近私は微分のことについて考えていました。
微分は私の研究の中で重要な役割を果たしていますし、今している仕事の中でも教える機会が多くあるものです。
微分というのは、端的に言えば変化の割合を調べる一つの道具です。
数学的定義はさておき、概念としては「瞬間の変化量」を測るのが微分の考え方です。
たとえば、関数は「数字の変化」を表すものです。
この変化具合を調べるのに微分をして「微分係数」を求めます。ある点での微分係数を求めることができたら、その点の近くでどれくらい変化したのかが分かるわけです。
このように変化する関数に限らず、「変化する対象」があれば微分のような概念を導入することができます。数学でフィールズ賞を受賞した小平邦彦先生の「複素多様体の変形理論」の小平・スペンサー写像とかがそれです。
<主の御言葉によって、自分の人生が完全に変わった人>は、 「私がその御言葉のおかげでこのように変わった! あなたも聞いてみなさい!」と言うのだ。
本日聞いたこの御言葉を通して、ふと「私は摂理に来て何が変わったのだろうか?」と考えるようになりました。
勤務先に移動している間、ふと「前の自分」と「今の自分」を一つ一つ詳細に比べてみました。
摂理に来る前は「神様のことを知らなかった」けれど、摂理に来てから「神様のことを知って告げるようになった」。
摂理に来る前は「世の中のこと、ゲームのことしか考えていなかった」けれど、摂理に来てから「自分のこと、現実的なことを考えるようになった」。
摂理に来る前は「嫉妬し、恨みがあった」けれど、摂理に来てから「喜び、感謝できるようになりつつある」。
ベクトルは複数ありますが、確実に言えることは「摂理に来てから、間違いなく良い方向に変化していった」のです。
摂理に来てからずっと走っていっていたので、今では「当たり前」のように認識していることも多くありました。
しかし、その変化を調べてみると本当に大きく変化していっていると感じます。
果たして、「その日その日の変化量」を調べてみたらどのようになるのでしょうか?それはとても興味深い話です。
たぶん、摂理人の「変化」を微分してみたら、その導関数も「増加」しているのではないかな~と思います。
つまり、「いつも変化率が増大している」のではないかなってことです。
色々な対象の変化も大事ですが、自分の変化を調べることもとても大事です。
その変化が積み重なって、永遠な生を左右するのですから。(これは積分ですね)
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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