私の『うたかた』

私は、小さい頃親やら先生やらに怒られ、友達から悪口を言われ続けてきました。

だから、現在も失敗を恐れたり、何か言われることを恐れています。

何か怒られる可能性が出た時、自分はそれを予測してしまって、心がフリーズします。

本当はやらないといけないことがあるのにサボってしまった時、「大丈夫だよ」と慰める声がします。

いつも寂しがりの私のそばには、空想上の友達、本音を話し、心を分かち合える存在がいました。

それが漫画であり、アニメであり、空想でした。

 

全ては、私の心を守るため。

あの時ショックを受けた私の心を守るための、心の機構でした。

 

私が罪を犯した時、その心の機構が動いてしまいました。

自分の寂しい心を埋める存在。自らを慰める声。

それがなければ…私は死ぬ気でいたから。

 

でも、もう大丈夫。

心の機構で守られては先に進めない。

心の中にいるのではない、空想にいるのではない、現実にいる「神様」に向かうため。

全てのことが「心の機構である」と認めて、それを止める。

泡沫の夢から出て、現実と向き合って、戦う。

それだけのことは、もうできるようになったから。

 

私は、元々感受性が高い人間です。だから、人より喜びも、悲しみも感じてしまいます。

そして、その喜びを忘れたくなくて、もう一度得たくて、私は心の中で反復してしまうのです。

だけど、それを乗り越え、次に行く必要があります。

そのために、私は書くのです。この記録が、私の生きる証であり、神様との経緯の記録であり、泡沫の夢から出るための儀式であります。

 

それでは、前へ。

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というわけで、おはようございます。

何ヶ月ぶりに起動しました、satoです。

 

以前、魂とバーチャルの話でもちょっとだけ名前を出したVTuberの「HIMEHINA」の曲を聴いて思いついたことを書きました。

実は今日新曲「うたかたよいかないで」のMVがあってそれを聴いたのですが、それを聴いて自分が泡沫に囚われていることを悟りまして、ショックを受けました。特に最後の方。

多分、これは自分の中で整理してこそ乗り越えられると思ったので、唐突に書きました。

 

私にとっての「うたかた」とは、子供の頃、何も怖いことがなく安心していた頃の楽しかったこと、嬉しかったことであり、それを想起させる漫画とかアニメとか、そういうものです。ずっと、そこに戻りたいと心のどこかで思っていました。

だから、そこから別れないといけないのです。前へ進むために。

それを残したくて、書いたのです。

 

人は人では救えません。人を救うことができるのは神様であり、神様が遣わした救い主、メシアだけです。

だけど、そんなメシアでも、神様でも救えない人がいます。それは、「助けを求めない」人です。

必要でないから、知らないから、あるいは悲しみに囚われて動けないから、神様の伸ばす手を掴めない。

 

だから、私たちがいる。神様を知っている人が、伝える必要がある。

だから、全てのものがある。動けない心を立ち上がらせ、気づかせる、そのために。

 

そして、その悲しみを乗り越えるのは、最後には「自分」なのです。

結局、神様が助けても、救い主が助けても、立ち上がって、歩いて、生きるのは、自分なのです。

でも、神様も、救い主も、そして世の中の大半の目には見えない助けも、助けてくれる。

世界は、私の思っているよりずっと優しく、暖かいのです。

 

神様は、愛する人のためなら、あらゆるものを通して助け、メッセージを送ります。

どうか、一人でも悲しみから立ち上がれるように祈ります。

 

素晴らしい曲を作ってくださったヒメヒナのお二方と田中工務店に感謝します。そして、この曲に出会わせ、悟らせてくださり、再び立ち上がれるようにしてくださった神様に感謝を捧げます。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。