心の「不安」に気づけた話

おはようございます、satoです。
本日は久々に調子が良い状態でした。デイケアに行って色々やるにつれて、一人でいる時には分からなかったさまざまなこと…自分のできるところ、できないところ、などなど…が分かるようになってきて、少しずつ整理できているのが分かります。
あと、最近御言葉を聞いて「もっと細かいところで神様を呼ぼう」と思って実際にやってみた(例えば研究で詰まったら神様を呼んでみたり、ブログを書こうとしたら神様を呼んだり、寝るときにイエス様を呼んだり、心が苦しくなったら聖霊を呼んだり)ところ、より細かく神様が働きかけてくださることが分かり、ちょっと神様、聖霊、イエス様に近づいた感覚がしました。
例えば、研究する方向性で躓いていたところは「もっと具体的に証明を繰り返しなさい、そうすれば方向性が見える」という感動を受けまして、実際にその方針でやったところ少しずつ確実に進んできました(´っ・ω・)っ

と、こんな感じで最近は色々整理できたのですが、その中で心の問題について一番大きな気づきがありました。
それがコミュニケーションに対する苦手意識の根っこの理由です。
私は今まで「相手の意図を掴めない」「どうやって振る舞ったらいいか分からない」から苦手なんだと思っていました。
確かに「自分の意図を伝えること」「自分の要求を伝えること」は苦手分野です。自分の意図を伝えたい時に「自分はわかるけど相手が分からない情報」を伝えるのを忘れがちで、結果として意図が伝わらないということは多く、ここは改善できるところと思います。
しかし、そもそもこれまで人と接していて「自分のコミュニケーションで相手を不快にさせた」という経験は決して多くなく、むしろ「ちゃんとコミュニケーションが取れている」という評価を受けていました。これはデイケアでもそうですし、実際の仕事でもそうでした。

このような客観的な評価とは別に自分は人とコミュニケーションをするたびに「相手の意図を掴めているだろうか」「相手に不快感を与えていないだろうか?」「相手を怒らせないだろうか?」と考えていて、いつも「本当にうまくできているのだろうか??」と不安になっていました。
そう、このコミュニケーションをするたびに起こる「不安感」こそが、私の苦手意識の根っこなんです。
そして、この不安とはどこから来るかというと自分が話すことによって「過去相手を不快にさせたことによって自分が傷ついた経験」のフラッシュバックが強くなることです。
具体的には

自分が何か困ったことがあり親に助けてもらいたくてお願いした時に「少し怒ったように」反応されたこと

自分が失敗をした時に学校の先生に「大声で、かなり怖く」怒られたこと

学校で働いていた時に「自分の気持ちや困っていることを伝えられず」一方的に指摘されたこと

友達と話していた時に自分の発言によって「突然」悪口を言われるようになったこと

…といった感じです。
だから、人と話している時にも「相手を不快にさせないだろうか???」とずっと気を張ってしまうのです。
だから、他の人が怒られそうになっているのを見ると「その状況を止めたくなる」くらいに不安感が増すのです。
だから、自分が失敗した時に「自分を極度に叱りつけて、これ以上相手に叱られないようにする」のです。

最後の点は実際に聖霊にこのことを告げてようやく解かれたところがありますが、最初の2つはまだ残っていました。
特に、親と話していた時にコミュニケーションがうまくできなかった時、私は「怖くて遠ざかっていた」ように思います。
このように、不安なことがあったら「遠ざかる」ようにしていた、のですよね。

この不安が見つけられたこと、デイケアと併用して診察を受けた時に「そこが大きい」と言われました。
この不安とどう向き合い、付き合っていくのか、そこが私の心の回復の第2部の始まり、とも言えます。
私の中にある「不安」感、神様と一緒に少しずつじっくりと向き合っていきたいところです。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。