背理法から考える教育と論理~「背理法被害者の会」を見て~

こんばんは、satoです。

今日も数学ネタ。 ABC予想についてはじっくり書きたいので、今日は別のネタを。
今日は皆さんが高校で習ったことのある背理法を巡って、「数学の論理の進め方は一つだけじゃない!」って数学話をしたいと思います。

(20160305注:こちらの記事は旧ブログから移行の際、安部教授の立場について誤解していた部分があったので、それを訂正するついでに加筆しています)

皆さんは背理法って覚えていますか? 簡単に言うと

「結論を否定して論理を進めると矛盾が起こる。よって、結論が正しい」

って流れで示す数学の証明法です。
中学の時に「√2が有理数でない」ことを示すときに使ったのを思い出す人もいるかと思います。
でも、この背理法ってちょっと複雑じゃありませんか?

実は「√2が有理数でない」ことの証明は背理法無しで簡単にできるんです! その証明法がこちらに載っています。

安部研究室

これによると、必要な知識は「素因数分解の一意性」(全ての自然数は、必ず素数の積で一意に表せる)のみなのだそうです。
こちらは東京理科大学の安部教授のサイトなのですが、こちらのサイトのタイトル、別の名を背理法被害者の会と言います。ちょっと過激ですね。
なぜこのようなタイトルなのか、と言いますと

「数学の教育に背理法を使うのはよろしくない!」

という考えがあるからなのです。
この教授の主張を要約しますと、背理法を使うと、数学の概念の意味を理解しないまま「形式的に論理操作のみが出来たことで理解した」と誤解する学生が増える。それはよくないということ、なのだと思います。 この教授の言い分が正しいか、これについては、↑のサイトを読んだ上で判断していただければと思います。

私たちがいつも行なう「背理法などを用いる」証明法というのは命題は真であるか偽であるかのどちらかである(専門用語でいうと排中律)に着目した論理で、これを古典論理と言います。簡単に言うと、古典論理では

Aじゃなくない!?(二重否定)

Aじゃん!

が同じなのです。 これに対して、数学用語でいう直観論理という論理があります。
これは命題が真か偽か、を問うのではなく「命題が証明可能か反例を構築できるか」を問う論理のルールです。
たとえば、「こういう数が存在する」という命題を示す時に、その数を具体的に構築するという証明法を用います。
ここで「背理法」は用いることが出来ません。何故なら、背理法は結論を否定するという過程をしますが、直観論理の立場では「具体的に構築して初めて正しいとみなされる」ので、これだけだと不十分だからです。なので、直観論理の立場だと

Aじゃなくない!?(二重否定)

Aじゃん!

が違うものになります。直観論理の証明のいいところはどうしてその命題が成り立つのかがはっきりわかるということです。実際に具体例が存在するから、安心ですよね。
それに対して、古典論理の証明は性質がよくわかっていない概念についても真偽がわかるというメリットがあります。特に最先端の研究では発見されて間もない概念も多いので、その命題を調べたい時に使えます。

今回はこの二つだけを紹介しましたが、このように数学には「使える論理のルール」によって様々な立場があります。そして、その論理のルールによってどういう違いがあるのかもわかります。これが数理論理学や数学基礎論と呼ばれる数学の分野の研究の一つです。

最後に、安部教授の「背理法被害」に関して思ったこと。
安部教授の立場は当初「排中律を否定した直観論理」の立場だと思っていましたが、よくよく見てみると排中律自体は否定していません。

背理法で導かれた(構文論)結果は正しいことを論理的に保障されていますが、証明自体には数学的(意味論)に次のような(教育上?)の問題点があります。-安部研究室ホームより

背理法で示されたことは正しいと認めているからです。(直観論理ではこれは否定されます)
その上で、「背理法では数学的な意味が理解できないのではないか?」という懸念を示しています。つまり、これは論理の問題、というより「背理法」という証明法に対する(特に教育的視点からの)懸念です。

これに対して、少なくとも教育という立場から「背理法を排除する」より簡単そうな解決方法があります。それは

生徒に「教科書に書いてある方法以外の証明法」を考えさせる姿勢を作る

ことです。別証明を考えることは、数学の概念の意味を理解させることにとても有益です。ちゃんと分かっていないとうまく証明法が作れませんからね。
しかも、この姿勢を作るのは、教育にとって一番大事な「自主性」を養うことに繋がると思われます。自分だけの証明法を見つけられたら一気に楽しくなります((o(´∀`)o))
さらに、研究においても「別証明」を考えるのは新しい研究の取っ掛かりの一つです。(このことだけでもちゃんと論文が書けるのです)

数学の論理も一つではないですが、証明法もたくさんあります。
たとえば「ピタゴラスの定理」は証明法が100以上もあるそうな…!

与えられた情報を得るだけで満足するのではなく、その情報が正しいのか、本当に理解しているのかを考える。

これは数学だけでなく他の分野においても必要なことです。特に「情報がたくさんある」ネット世界では…。
是非とも、ネットの情報に頼るだけでなく、それが本当に正しいのか自分で吟味することを願います。そうすれば「背理法被害者」も「ネット被害者」もなくなっていくでしょうから…。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。