摂理でマインドコントロールされる!って話に対する個人的見解

おはようございます、satoです。
五等分の花嫁∽、未だに満足感が残っており本当に良い時間だった…となっています。
なんならもう一回見たい気もしますが(笑)まぁ、時間が合えば…?

ところで、摂理にいるとマインドコントロールされる!というかされている!って話をよく聞きます。
これについて、別の記事を書いてる途中でふと気づいたことがあったので、こちらについて書いていこうと思います。

私が摂理に来てから長い時間が経ちますが、一緒に信仰生活を守った人たちはみんな悪い人でなかったと感じております
基本的に悪口は言わず(いじられることはありましたが(笑))、自分のことを否定されることもありませんでした。何かを止めなさい、と言われたことも殆どなかったです。
これについては、むしろ…御言葉を聞いて、勝手に自分が「これはしてはいけないことなんだ!」って強迫観念に囚われてパニックを起こしたり、こんにゃろ!って思って勝手に捨ててたことのほうが多い気がします。
イラストとか、そんな感じのを捨ててましたが、あれはちょっと後悔しています…(笑)まぁ、あの時はそれが最善だったのだと思います。これを摂理でのマインドコントロールのせいでこうなった!と主張する人がいるのかなと思ったので、これに対して反論しておきます。

私は基本的に誰かに何かを言われたらとりあえずやるタイプの人間でした。
根本の問題がわかった今でいうなら自分が頑張ったことに対する評価があまりなかった幼少期の影響で、自分にとっての判断基準がなく、とりあえず人に言われたからやっていたという感じです。
なので、基本的に摂理以外のところでもこうなっていました。高校時代にもこういうパニック起こしてました。友達とちょっと言い争いになって、ある言葉を言われて異常なまでにパニックを起こして暴れそうになりました。
この状態が正常かと言われると…全くそんなことはありません。

こういう状態の私、普通にカルト…何かしら悪いことを企んでいるところなら、そのままの状態のほうが都合がいいと思いませんか?
だって、「なにか言われたらとにかくやろうとする」って結構都合よくないですか??しかも強迫観念にかられてやりますから、遂行率は高め。バレても「あいつが勝手にやった」って話が通じやすいですし、たぶん私はそれに対して反論しないでしょう。人を悪く言うことができないから。
そう考えると私「かなり都合のいい存在」なんですよね。

それなのに、何かを止めることについて言われることはまったくない、どころかやるのを分かってもらって、その上でちゃんと信仰生活ができるように対応してくださったわけです。これはマインドコントロールのイメージとはズレています。
(この点、私の面倒を見てくれた方がかなり柔軟な方だったというのもあります。本当に感謝しております)
別に周りとの関係性を切れと言われたこともありませんし…そこまで人間関係が深くなかったとも言えますが(笑)

そうやっていくうちに、自分の中で判断基準が作られ…今では「人に言われたこと、自分の中でちゃんと軸を持って」判断できるようになっています。そうやって生活している今の私がどうなっているのか、それは最近の記事を読んでもらえれば分かるかと思います。
少なくとも、リンクした記事では摂理の御言葉を聞いている多くの人とは違う行動をしていると思いますし、模範的かと言われるとそうではないと思います。が、これらもちゃんと信仰を軸にして調整して行なっております。できない場合は離れることもしていますし、あくまで自分の中にある信仰を優先して判断しているわけです。

こういう風に自分の好きなことをしている中でも神様が色々助けてくださっているし、信仰をしっかり守ればかなり多くの働きかけが起こります。最近だと、五等分の花嫁∽を見るまでの経緯がはっきりしていて分かりやすいですね。

あと、人間関係の形成にしても割とうまくできていて、今の方が人とのつながりは多くできています。
家族とも色々話すようになりましたしね。

この状態が一般的なマインドコントロールとは違う状態であるかどうか、これはこの記事をご覧の方にお委ねしたいと思います。少なくとも私はマインドコントロールされているとは思いませんし、もしされてるなら、このままでいいと思ってますよ。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。