素直に、深く、祈ります。~代表祈祷の使命を通しての悟り~

おはようございます、satoです。

私は摂理の教会でさまざまな使命を行なってきました。摂理に長くいると…と言う訳ではありませんが、私の教会は人数がそこまで多くないので使命を任される機会が自ずと増えるのです。
現在まで続けて行なっている使命もあれば色々あって今はやっていない使命もあります。
そんな使命の中で大事なものの一つに「代表祈祷」があります。
この使命は、礼拝で皆を代表して前に出て、聖三位に祈ることをします。
私がこの使命を受けたのは2015年の11月、ちょうど月明洞から帰ってきた直後ぐらいで、大体2年くらい行なってきたでしょうか…。

この使命をする際、私の場合は予め祈祷文を作成し牧会者に見てもらい、必要があれば直しています。
それに加えて色々な方のアドバイスを受けて「礼拝前に何回か読みながらお祈りする」ことをしています。
そうすると文章的におかしなところがあったり、もっといい表現が出てくることがあるので、随時修正しています。
なお、現在は祈祷文の原稿を用意しないで、聖霊の感動を受けながら祈るようにする人が多いようです。

難しいのは「代表」なので、完全に自分の状況に合わせた祈りをしてはいけない、というところです。
一対一で対話する普段の祈りと違って、礼拝という公的、かつ神霊な場面で、皆を代表するのですからとても重要です。
最初に祈祷文を作成し見てもらった時、あまりに自分にしか当てはまらない祈りになってたことを指摘されました^^;

この使命を続ける中で感じた一番大切なこと、それは神様の前に素直に、自分の言葉で祈ることだと思います。

前に、ある人の代表祈祷を聞いてとても感動し、とてもレベルが高いなと感じたので、それを参考にしながら、主日の御言葉のままに祈祷文を作成したことがありました。
ところが、それを見てもらったところその祈りは自分の言葉で祈れるか?という話になりました。それで、しばらく考えてもっと自分の感じたところをうまく表現する祈祷文に変えました。
それ以降、自分がしっかりと悟ったこと、感謝、愛、悔い改めをしっかりと言葉に出来るように祈祷文を作成するようになりました。

先程自分ばかりの祈りになってはいけない、と話しましたが、それではどのように代表祈祷文を作成したら良いか、というとやはり皆が聞いた主日の御言葉や日々の御言葉を参考にするのが一番です。
ですが、その中でも特に大事なのはそれを聞いて自分がどのように感じたのか、神様が何を願われているのかをしっかりと考え、時にはもっと尋ね、もっと実践して作っていくことと思います。

例えば、「悔い改めて、自分の内面にある腐ったものを捨てて清くなりなさい」という御言葉が主日礼拝で伝えられた時のこと。
この御言葉、かなりひどい状態になっていた私にはとても感謝すべき、悔い改めの御言葉でまさにタイミングがぴったりでした。それで悔い改めの祈りを捧げ、自分の認識を変えるための祈りをしていました。
こういう状況は大なり小なり全ての人に当てはまるので、このことをベースに代表祈祷文を作成しました。

牧会者のチェックを経て、礼拝前にいつものように祈祷文を読みながら修正して、礼拝の賛美を捧げていたのですが、その時に一つ感動が来たのですが、それが「神様は私達と一緒にいたくて、悔い改めて清くなりなさいと伝えた」ということです。
これは、悔い改めをしていた今週、神様がいつも以上に共にされているのを感じたからでした。特にバイトにおいていつもより神様が共にしてくださってとても適切な対応、いうなれば「神対応」をすることができたことが多く、本当に感謝でした。
それで直前にこの文章を付け加えました。

こういうふうに作成した祈祷文に沿って祈ると、不思議と自分の胸が熱くなって力が出てきます。
神様が共にしてくださるのを感じるしかない祈りになり、自分が泣きそうになってしまいます。というか泣いてました。

代表祈祷をするのはとてももがきが必要です。
文章を作成する際にブログならすらすら書けるけど、色々言葉に迷って内容がまとまらず苦しみます。
だけど、そのように深く考え向き合った上にできた祈りは、きっと神様の前に届いて経緯となると信じます。

これは代表祈祷を準備している時に悟った話ですが、普段の祈りでも同じように深く向き合い用意した上に捧げるならばやはり神様が熱く働きかけてくださいます。
私ももっと深い祈りを捧げるために、深く向き合い準備してその時間を迎えたいです。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。