【摂理人が書く物語】見えない世界、見学旅行。その2

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Q「…待たせたな!」
今までせわしく動いていたQさんがお茶を持って、椅子に座っていたDくんとJくんのところに来ました。
見ると、それまで作品と絵を描く道具でいっぱいだったQさんの部屋がきれいに片付いています。
J「あ、ありがとうございます。」
D「ありがとうございます!
…でも、一体どうしたんですか?突然部屋を片付けて…」
Q「…これから御言葉を伝えるから、部屋をきれいにせねばと思ってな。
せっかくの御言葉なのに、部屋が散らかっていて集中できないのはよろしくないではないか。」
D「…御言葉?」
Q「Jが霊界についてイメージがわかない、と話していたのだろう?だから、霊界について教えよう。」
そういって、パソコンをつけるQさん。
Q「私が描いた作品や写真で、実際に霊界を見てみよう。」
J「…霊界を、見る?霊って見えないはずじゃ…」
Q「肉の目では見えない。しかしだな…」
そういって、目を閉じるQさん。
Q「肉の目を閉じたら、霊の目が開かれる。
J「え…どういうことですか?」
Q「人がどうして霊界が見えないのか、わかるか?
昼間起きている時には、肉体が活発に動いているからだ。
真昼に明かりを灯してもわからないように、「肉体の目」を開いて「肉体の明かり」をつけていたら、「魂」がよく見えない。」
J「はぁ…。」
Q「実際に見るとよくわかる。」
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(http://www2.panasonic.biz/より。)
Q「やはり明かりは夜つけないとな。」
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(http://dp24289005.lolipop.jp/index.php?%E3%83%91%E3%83%8A%E3%82%BD%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AFLED%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88より。)
J「確かに…夜に明かりをつけた方が目立ちますね。」
Q「だから、肉体が眠っている時は、「肉体の目」も閉じて「肉的な機能」をしないから、その時は<霊的現象>がよく見える。Jも夢を見るだろう?」
J「実は…あまり見ないんです、夢。」
Q「む…そうか。それなら祈る時「肉体の目」を閉じて「御子に集中」して「精神一到」すれば、<霊的現象>がよく見え、<御子>も感じられ、<悟り>が大きく来る。」
J「なるほど…。」
Q「肉の目を閉じた時に、霊の目が開かれる。
このように肉の考えを閉じれば、霊の考えになる。
J「…どういうことですか?」
Q「人は考えによってすべての事を見るようになる。このコップの水を見てみなさい。」
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(utukusinom.exblog.jpより。)
J「水が半分ありますね。」
Q「もし喉がかわいていて、水が欲しいと思った時、君だったらこのコップの水を見てどう思う?
J「僕だったら…「嬉しいけど、もう少しあったらよかったなぁ」と思います。」
Q「Dは?」
D「俺だったら、感謝しますね。「求めていたところに水がある」わけですから、「神様が与えてくださった!」と感激して水を飲みます。」
Q「そうだな。このように、同じものを見ても、その時の「自分の心と考えと行ない」によって、異なって考えるようになり、普段の「自分の否定的な、あるいは肯定的な生」によって異なって考えるようになる。だから、考えが大事なんだ。」
J「なるほど、良くわかりました。」
Q「そのように、だな。
同じ物質を見ても、それが「肉のものだ」と思えば肉的に見るだろうし、「このように霊もそうだ」と考えれば、霊のものが見えるようになる。だから、霊的な考えをする人は、肉の目を開いていたとしても霊のものを見ることができるのだ。
J「…!」
Qさんの言葉に、はっとするJくん。
J「そうか…肉性、肉の機能を抑えて、肉の考えを捨てて、御子に集中すれば、お祈りしている時と同じように、霊的現象が見える…そういうことですか!?」
Q「その通りだ!」
J「そっか…だから、肉の考えをすべて捨てなさいと鄭明析先生はおっしゃっていたのか…」
Q「だから、これから見せる絵も写真も、すべて「肉の世界のもの」として見るのではなく、「このように霊の世界もそうだ」と思って見てほしい。」
J「わかりました!」
そういって、祈るJくん。どうやら「天国を見れるように」とお祈りしているようです。
天国を見たいと切実に願うならば、天国を見ることができます。その切実さに…神様が動きます。
→その3

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。