「信仰生活」というけど、そもそも「生活」って何?

こんばんは、satoです。

今日は頭の動きがとても鈍い日でした。
私は時々あるのですが、大量の(大抵ネットからの)情報を見るとしばらく頭が動かなくなります。
また明け方起きられないと、祈ることすら難しくなります。すると、さらに力を失います。
今日はそのパターンでした。つまり、久々に明け方を起きられず、祈る時間に間に合わなかったのです。

そんな中ですが、自分のここ最近の「次元が上がらない」理由について考えていました。
色々思い至るところはありますが、最大のポイントが「自分の生活のリズムがうまく作れていない」ということです。
どういうことかと言いますと、一日を生活する中で「食べること、着ること、寝ること、礼拝や祈ること」以外のすることが曖昧ではっきりしない、ということです。
上に挙げたことをすべて足し合わせても大体8~10時間です。それ以外のすることが漠然としている、というのはかなり問題です。

もしかして、生活のイメージがうまく作れないのは「生活とは何か」を知らないからでないのか?
ということで、「生活」という言葉について調べてみたところ、こう書いてありました。

生活を構成するもの

基本、普遍
  • 食べる – 栄養をとること。食事。そのために食材を入手し調理をすること(あるいは食品を入手すること)。
  • 着る – 身体が冷えないように衣類をまとう。
  • 住まう – 睡眠をとり身体に休養を与えるための場所を確保すること。居住。住居の確保。
  • 世界を解釈し、その世界像のもと、上記のさまざまな活動を営み(食べ、住まい、子供を産み育て)表象行為を行う。(もともと生きることと、世界解釈と一体化して生きることは不可分であった)現代風に言えば、「信仰生活」「宗教行為」「年中行事」など。
  • 子供をつくり、産み、育てる - (婚姻)、性生活、出産、子育て
  • 老人が孫の子育てを手伝い若い世代に知恵を授け、若い世代が老人の世話をする – 子育て、扶養、介護(以下略)-生活-wikipedia

「世界を解釈して、それに合わせて活動をしていくこと」が生活の一つ…。
私でいえば「御言葉で聞いた通りに世界を解釈し、その思いで生きていくこと」が生活なのだ、と理解できました。
なんか、生活に対するイメージが覆りました(´・ω・`)

ところで、御言葉を聞きながら気づいたのですが、私が頭の動きが鈍い時って「かなりネガティブ」な思考が溜まっているからでした…。
うまく動けないと、考えも自ずとネガティブになってしまいます…(´・ω・`)
与えられた御言葉の通りに考えてポジティブに生きていきたいです(*‘∀‘)

 

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。